音喜多駿氏の5/21付けBLOGOS記事「検察庁法改正が見送られた『最後の一突き』は、週刊文春だった…?黒川検事長の賭け麻雀疑惑を時系列で整理する」にコメントしました。
本件、検察やマスコミにしてみればあたりまえ、ごく普通の日常的行為なのでしょう。そうでなければ、こんなことをするということ自体、常識を超絶しております。
彼らにしてみれば、これが日常的なあたりまえの行為であるということは、魚住昭著「官僚とメディア」あたりを読めばよくわかるわけですし、ちきりんさんの以下のエントリーを読まれてもなんとなくわかりそうです。
「官僚とメディア」も、ちきりんさんのエントリーと被るのですが、この検察の暴走を可能とするのがメディアとの一体化で、メディアは検察からのリーク情報を得るため、検察に協力せざるを得ないという弱みがあるのですね。
まあ、そんなものに頼ってペンを曲げてしまうメディアもメディアで、そんなことで新聞を売っていること自体も許されるものではないのですが、今回の賭けマージャンで、その実態の片鱗が明るみに出てしまった。
さらには、朝日と産経が仲良くじゃらじゃらやっているという、ほほえましい光景にまでスポットライトがあたってしまったのですね。ま、こっちはおまけみたいなものだが、、、
このニュース、コロナの三密がらみで非難する向きもありますが、本質的な問題の重さは、そんなところにあるのではありません。これを三密問題にしてしまうのは、矮小化、というような印象すら受けるのですね。