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安倍宏行氏の5/25付けBLOGOS記事「言葉のナイフいつか貴方にも」へのコメント

安倍宏行氏の5/25付けBLOGOS記事「言葉のナイフいつか貴方にも」にコメントしました。


引きずり降ろしてやろう、という負の感情は、政府与党に対しても人々が抱きがちなのですね。なにぶん政府与党にかかわる人々には、権限があって経済的にも恵まれているわけですから。

政権批判が、このような安易な感情とは峻別して、正しい批判精神を持ち続けることは非常に難しい道ではあるのですが、ひとたびこの暗黒の道に入り込んでしまいますと、嫉妬に駆られた誹謗中傷とほとんど変わらない主張になってしまうのですね。

今日の「リベラル」の主張には、この境界を踏み越えてしまっているものがかなりあるように、わたしには思われます。つまり、合理的な根拠を欠く政府批判がかなり多いというのが私の印象なのですね。

黒川氏に対する批判にしてみても、果たして、どれほどまでが嫉妬心と無縁のものであったのか、あのハッシュタグをつけた人々は、どこかで自省する必要があるように、私には思われます。

今回の不幸とあのハッシュタグは、深いところでつながっていたように私には思われてなりません。あのハッシュタグの多きことを、多くの批評家が肯定的に受け止めていたこと、これも、この手の無責任な批判を後押ししてしまいますから。

これが杞憂ならばよいのですが、、、


返信がついております。

Koku Yoshi>なにぶん政府与党にかかわる人々には、権限があって経済的にも恵まれているわけですから。<

それを言うなら、「反エリート主義」の方が該当するように思えますね。

反エリート主義を唱えているのは、主に右派の方かと思いますが。

「リベラル派」が主張しているのは、主に『マイノリティ(抑圧されている人々)の解放』、『権威主義に対する反発』、『格差是正』などであり、

それらの主張の矛先が権力に向かう場合は、嫉妬心が動機ではなく、権力者による政策の内容に反発していることが多いと思いますよ。

(安倍政権の例で言えば「憲法改正」とか「女性が輝く社会づくり」などが該当する。それらの改正内容や政策内容に、父権的な権威主義に基づいた価値観の押し付けがあるので、リベラル派から反発されている)


瀬尾 雄三「リベラル」の方々が嫉妬に動かされていると思うようになった一つの理由に、かつて社会党であった方の驚くべき主張を目にしたからなのですね。

つまり、「私たちにはルサンチマンがある」として、このルサンチマンを正当化する。このルサンチマンは、ニーチェ的意味であるにしても、結局のところ、嫉妬心なのですね。

その対象には、政府与党の人たちや、高級官僚、経営者の方たちもなり得るのだが、発言が広く伝えられるタレントのような人たち(インフルエンサー?)のいずれもがなり得る。

持てる者に対する嫉妬心は、確かに革命のような社会変革のドライビングフォースになり得る。でもこれを肯定してしまうと、SNS上の誹謗中傷みたいなものも肯定することになってしまう、これが今回の事件を前にした、今の私の問題意識であるわけです。

政策内容をきちんと理解したうえでこれを批判する行為は、もちろん正当な言論活動として肯定されるべきですが、ハッシュタグの数で圧力をかけるようなやり方は、そのメッセージにきちんとした主張が含まれないのであれば、言論活動とは似て非なるものだ、ということです。


Koku Yoshi

確かに、極左の中には、既得権益者を「悪の巣窟」と決めつけて、一般市民のルサンチマンを煽るような手法を取っている者もいるようですが、

それでも、そういったケースで怒っている連中の感情は、『不正が許せないという正義感』とか『搾取されることに対する怒り』などであって、

本記事で取り上げられている『成功した者に対する嫉妬心』とか、『引きずり降ろしてやろう』といった感情とは異なるように思えますね。

(中には「お前らだけ、いい思いしやがって」と怒る者もいるが、そういった『物欲的な嫉妬』を抱く者は、右派に多いように思われる)

私の見立てでは、インフルエンサーに対するバッシングを行う者は、それが嫉妬に基づくものであれば「右翼」、正義感(言動を咎める)に基づく者であれば「左翼」、であるように思えますね。

同じことは、黒川氏の件にも言えるかと思います。 (正義感で怒っている者は左派、嫉妬心で怒っている者や、逆に正義を唱える者に反発しているのは右派)

たとえ動機が正義感であっても、行き過ぎた言動は慎むべきだとは思いますが。


瀬尾 雄三

Koku Yoshi さん

この「正義」というやつが諸悪の根源なのですね。

正義は一つしかないと多くの人は考えてしまうのですが、何が正義かということは理性的論理的に与えられる、つまりイデオロギーに依存するのですね。

これが人類史上多くの悲劇を招いたということを青木保氏は彼の著「多文化世界」の中で次のように書かれています。

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バーリンはイデオロギーは人間の理想を鼓舞する一方、人間性をおとしめたり抑圧したりする、この問題については、19世紀の最も鋭い社会思想家でさえ誰一人として予言していないと述べています。近代思想の中で、社会改革のイデオロギーは常にプラスの方向、よりよいものであると捉えられていました。それはフランス革命以来、人間の理想の追求の一環として捉えられてきたからだと言えるでしょう。

ただ、20世紀を振り返ってみますと、理想主義に貫かれたイデオロギーのもたらしたものは、結果的に反人間的な行いであり、価値の分断であり、ナチズムに象徴されるように、人類の一体化よりはむしろ人類の分断であり、抑圧であったと言えます。これは大変不幸なことだったと思います。

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今回の悲劇も「正義」が招いたものであるといえますし、野党の政府批判もその礎は「正義」なのですね。

「正義」の厄災を防ぐためには、自然な人間感情も、大事にしなくてはいけません。これを理解していない人間が多すぎる、これが私の率直な印象です。


Koku Yoshi

私が言いたかったのは、嫉妬心で叩くのはむしろ右派で、リベラル派(左派)の行動原理は正義感(不快感も含む)ではないか、ということであり、

正義の在り方について議論するつもりはなかったのですが・・・

正義に対する考察には同意します。