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内藤忍氏の8/12付けBLOGOS記事「コロナで露呈した『地方の息苦しさ』」へのコメント

内藤忍氏の8/12付けBLOGOS記事「コロナで露呈した『地方の息苦しさ』」にコメントしました。


都市と農村という二分化は多くの社会学者がおこなっております。たとえば、鈴木広氏は「都市化の研究(恒星社厚生閣、1996)の中で都市化を次のようにとらえておられます。

[個人主義化] 共同的・集団的生活から,個人的・選択的生活へ
[世俗化] 聖なる宗教的価値が失われ,便宜と計算,合理的配慮の優先へ
[伝統的文化体系の解体] 単一の文化的統合から多様な文化の並立へ

で、地方の特殊性(なり地域エゴ)に根差したローカルルールが幅を利かせる地方に対して、普遍的な規則がものをいう都市は、見通しの良い生活ができるのですね。

このような都市と農村(なり、地方)のとらえ方は、至極一般的な社会の理解となっております。

ここで、都市と地方とは、二つにきっぱりと分けられるものではなく、連続した「程度の問題」でもあります。つまり、「ド田舎」から「大都市」の間に、無数の段階がある。

そして、日本全体では、国際的に見たら田舎の方に位置する。つまりそこでは、ローカルルールが幅を利かしているのですね。

これは、携帯電話のガラパゴス化や、様々な局面でグローバルスタンダードに合わせることが要求されることからも見てとれるでしょう。GoToトラベルだって、実は日本の田舎性の現れなんじゃないかな?

世界には「魔法の国ニッポン」などという見方もある。それが日本の魅力であって感心する人もいるのだが、日本人としては、単純に喜んでばかりもいられないのですね。

文化の端々には魔法的な魅力を残しながらも、経済産業や社会運営の部分では普遍的ルールで世界と競う、そんな形にもっていかないと、日本は、世界の中の田舎の中で腐ってしまう、そんな恐れを私は抱いております。

2 thoughts on “内藤忍氏の8/12付けBLOGOS記事「コロナで露呈した『地方の息苦しさ』」へのコメント

  1. mi.mino

    ポール・ボネは、藤島泰輔氏のペンネームだったらしい、
    Wikiで調べたそういえば日本人とユダヤ人をかいたイザヤペンダサン氏も山本七平氏のペンネームだったなあ。

  2. mi.mino

    魔法の国ニッポンから、このまえ思い出せなかった本の名前をおもいだした。出前云々フランス人がおどろいたというコメントね

    不思議の国ニッポン vol.1―在日フランス人の眼 (角川文庫 白 275-1) (日本語) 文庫  ポール・ボネ著

    volは8あたりだったと思う。

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