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階猛氏の10/3付けBLOGOS記事「多様な意見を排除するのか尊重するのか-学術会議人事への介入」へのコメント

階猛氏の10/3付けBLOGOS記事「多様な意見を排除するのか尊重するのか-学術会議人事への介入」にコメントしました。


時々誤解されている方がおられるのですけど、「自由」とは、自分の責任と負担の元に自らの自由意志を貫き通すことであり、これを政府その他によって束縛されることがない、という意味であって、公費を政府の意図に反して使うことまでを認めるものではない、ということですね。

だから、それぞれの科学者が政府に反対意見を持つことは自由なのですが、これに政府がお金を出して意見を聞かなければいけない理由はない。

政府は、反対意見を聞く必要があると考えれば、そういう人たちを集めればよいし、その必要がないと考えればそういう人たち以外を集めればよい。

政府の意図に反して、政府への反対意見を述べたければ、自らがお金を出すなり、仲間を集ってお金を集めて、その主張を出版したりすればよいわけですね。それが、言論、出版の自由というものです。

このくらいのことは、あたりまえの話だと思うのだが、、、


返信がついております。

灘 克司

そのとうりですね。付け加えるなら 国会議員はそのような員意を組んで法案を作り国会で審議すればよい。ましてや 投獄されたわけでも、職業を剥奪されたわけでもない。


Gorobe Nakamachi

諮問機関に批判するなって意味が分かりませんw


瀬尾 雄三

Gorobe Nakamachi さん

特定の政治的立場を有する人間に諮問するのが最初から間違い、ということです。


Gorobe Nakamachi

自分の気に入る政治的立場の人だけで硬めて諫言は粛清とか、むかしの暴君暗君みたいだねwww


Tetsuharu Kawasaki

Gorobe Nakamachi さん

まあ、君の出した結論は間違い

『日本学術会議の価値ある諫言』を君のあげる優先度の高いもの5個あげてみな(笑


瀬尾 雄三

Gorobe Nakamachi さん

選ばれた人を見よ、とのちきりんさんの指摘に応えて栗原亮さんがチェックされています。その結果によれば、批判的立場の人もちゃんと入っているとのこと。

この手の組織は政治的に中立であることが望ましいのですが、何が中心かといえば、主権在民なのですから国民の意識の中心をとるべきで、たとえば直近の国政選挙の得票率で中心を定めるなどという考え方ができるでしょう。

で、自民党が40%で共産党が10%なら、赤旗に記事を書く人を1人入れるなら、自由民主に記事を書く人を4人入れるのが中立という計算で、後者に該当する有資格者がおられないなら赤旗の寄稿者にはご辞退いただく、ということになるのでしょう。

まあ、そこまできちんとした計算をされてのことかどうかわかりませんけど、現在の日本学術会議が(国民意識の中心基準で)政治的に中立であるような印象は全く受けません。どうしましょう、、、

1 thoughts on “階猛氏の10/3付けBLOGOS記事「多様な意見を排除するのか尊重するのか-学術会議人事への介入」へのコメント

  1. mi.mino

    >>時々誤解されている方がおられるのですけど、「自由」とは、自分の責任と負担の元に自らの自由意志を貫き通すことであり、これを政府その他によって束縛されることがない、という意味であって、公費を政府の意図に反して使うことまでを認めるものではない、ということですね。

    中国じゃあるまいし、政府批判したら収監されるわけではないのであって学問の自由は日本では保証されている。

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