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鈴木宗男氏の10/15付けBLOGOS記事「ムネオ日記」へのコメント

鈴木宗男氏の10/15付けBLOGOS記事「ムネオ日記」にコメントしました。


剛毅朴訥は仁に近し。学問というものは、難しいのですよ。

鈴木大拙氏は、親鸞の歎異抄に日本的霊性の端緒を見出し、親鸞がこれをつかみ取るきっかけが越後に流配されたことにあったと喝破して、以下のように書くのですね。
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この教文でうかがい知られることは、第一に親鸞の宗旨の具象的根拠は大地に在ることである。大地というのは田舎の義、百姓農夫の義、知恵分別に対照する義、起きるも仆(たお)れるも悉くここにおいてするの義である。

大地が政治的・経済的に意味をもつものである事実は言うまでもないのであるが、またこの事実によりて、大地は我らの肉体そのものであることも了解できるであろうが、親鸞宗の大地はその宗教的意義すなわちその霊性的価値である。

この価値は京都的公家的上皮部文化からは出てこないのである。「おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめ給う」というのは、決して徒爾(とじ)ではないのである。

時代の背景を想像して、常陸地方からはるばる上京して来た田舎の人々を考えて見ると、親鸞と彼らとの関係が決して概念的・形而上学的・言語文字的なものではないということが看取せられる。かれらのつながりは大地的であったのである。

「南都北嶺の学者たち」のあいだでは見られなかったものがここに在ると言わなければならぬ。親鸞が京都を離れる機縁を失っていたなら、こんなにまで彼の心は大地に食い込まなかったであろう。
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鈴木大拙氏は米国のヒッピームーブメントに影響し、ウッドストックで雨に打たれた彼らは何かをつかみ取る。メラニーがレイダウンを作詞ししたのもこの故だし、ウォズニアックも何かを得たのでしょう。後にアップルで大金を得た彼は、ウッドストックを再現しようとしたわけですから。

つまらぬ学問に拘っていては、到達できない世界です。大拙師を生んだ国なのに。

1 thoughts on “鈴木宗男氏の10/15付けBLOGOS記事「ムネオ日記」へのコメント

  1. mi.mino

    >>川勝知事にお尋ねしたい。任命しなかったことが「教養のレベルが図らずも露見したということではないか」「学問された人ではないですね」と言っているが、どのような基準、根拠で判断しているのか。

    学問は心構えによって増やすことができる。
    私が歴史を学んだのは学校を出てからだ。

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