田原総一朗氏の10/26付けBLOGOS記事「菅首相は就任早々『地雷』を踏んでしまった…」にコメントしました。
学問の自由は、誰の自由なのか、という視点が抜けております。
それは、研究を行う個々の学者の自由なのか、学術会議という組織の自由なのか、このどちらなのでしょうか。
学術会議という組織は、国の組織であり、独自性の高い行動が認められているとしても、成員が公務員である以上、憲法15条その他の規定に束縛されます。
通常は、学問研究の自由というものは、自然人の人権の一つであり、学問を行う個々の研究者の権利と考えるのが普通の考え方でしょう。
で、学術会議に任命されないことが学問の自由を侵害するのであるとすると、学術会議が特定の学者を推薦しないことも、学問の自由を侵害していることになる。
もちろんそれ以前に、軍事研究をしてはならぬなどという通達を出すことこそ、明白な、学問の自由に対する侵害なのですが、、、
権利義務を議論する際には、その主体はいったい誰なのか、という点をきちんと把握して行わなくてはいけません。
返信がついております
Toshimi Minoura
太平洋戦争中に九州大学で生体解剖事件というものがありました。福岡県の飛行場を爆撃した米軍のB29が日本軍機の体当たり攻撃で撃墜され、捕らわれた米兵8人が九州帝国大学に運ばれ、臓器摘出などの人体実験の末に全員死亡しました。
九州大学では、1948年に医学部などが「反省と決意の会」を開催し、「たとえ国家の権力または軍部等の圧力が加わっても、絶対にこれに屈従しない」ことを決議しました。
さらに、戦後70年の医学部教授会では、「医師としてのモラルと医学者としての研究倫理を再確認し、今後もこの(国家権力や圧力に屈従しないとする1948年の)決意を引き継ぐことを固く誓う」と決議しました。
これは。明白な学問の自由の否定です。
Toshimi Minoura
逆に学問の自由が守られて例もあります。
731部隊員であった金子順一氏が、731部隊の極秘報告書をたばねて博士論文として東大に提出した論文が2011年に見つかりました。このペスト菌の散布実験により2万人以上の犠牲者がでました。
ソ連の参戦と共に、731部隊員は人体事件があったことの証拠となるものは全て焼却などににより破棄することを命じられましたが、学問の自由を尊重する研究者は極意史料や検体のサンプルなどを携えて帰国しました。
この事件について、金子論文が見つかる前に中国の被害者が日本国政府を告訴しましたが敗訴になりました。この裁判における原告の主張は、後から見つかった金子論文の内容とほぼ一致します。
近年の国会審議で明らかになったことは、日本政府は731部隊による人体実験を認めていません。
瀬尾 雄三
Toshimi Minoura さん
臓器摘出が学問なのでしょうか? これを学問の自由に結びつけるなら、臓器摘出の自由を認めよという話になるはずですね。
この問題は、「誰しも犯罪行為を強要されない」という、学問の自由とは異なる人権に属する問題です。
もう一方の、金子氏の行為は学問の自由なのでしょうか? こちらも、ペスト菌散布や人体実験を学問として認めるなら、その論文を書くためにデータを保存することは学者の権利なのでしょうが、私から見れば、こちらも犯罪行為であり、これを博士論文などとすることがとんでもない話だと思います。
なお、他の観点からは、犯罪行為を摘発するために証拠を保存することは、人権や学問の自由とは別に認められてしかるべきだと思います。
学術会議の問題や、今回上げていただいた例をみておりますと、学者が何かをするときに、学問の自由と結び付けて、おのれの行為や主張を正当化する傾向があるような印象も受けます。
学者の方は、あらゆる行為を学問であると考えておられ、学問の自由は何をおいても認められてしかるべきと考えておられるような印象を受けるのですね。
もちろんそんなことはない。学問の自由といえども、他の社会的規範の制約を受けるのだし、無制限な自由があるわけでもない。そこを勘違いする人が「学者馬鹿」などと呼ばれる人物となるのではないでしょうか。
まあ、個々には、ほほえましい方々である、とは思いますが、、、
現在日本は平和で自由です。こういった時期に学問の自由というのは簡単です。
一番重要なことは学問の自由がない国でそれをいうことや戦争中にそれが言えるかどうかです。
とりいそぎ日本学術会議や野党の連中は中国へ行ってそれを言ってきたらいいと思います。