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大串博志氏の5/9付けBLOGOS記事「今こそ、『ゼロコロナ政策』への転換を」へのコメント

大串博志氏の5/9付けBLOGOS記事「今こそ、『ゼロコロナ政策』への転換を」にコメントしました。


支持しました。言ってるだけかもしれませんけど。

ゼロコロナ政策は、結構大変な政策で、新規感染者が減少してきても対策の手を緩めない、という意味であることは、しっかりと理解しておいてほしいところです。

そして、市中の感染者が実質ゼロになるまで、石にかじりついてでも、締め付けを続ける。当然のごとく、そこら中から「苦しいから何とかしてくれ」という声が出てくるはずですけど、これらに耳を傾けてはいけない。なにぶん、途中で止めたら、それまでのすべての努力が水泡に帰すわけですから。

ハッキリ言えば、相当な悪者になる覚悟がないと、ゼロコロナなどという政策はできないのですけど、大丈夫でしょうね。

頑張ってください。と、一応は言っておきます。


返信がついております。

加藤洋行

>市中の感染者が実質ゼロになるまで

その考え方、変異株の登場で説得力を失いましたね。


瀬尾 雄三

加藤洋行 さん

変異株の登場により、ゼロコロナ以外の選択肢はなくなりました。

なぜならば、コロナと共存する以上、どれほど危ない変異株が登場してくるか、わからないからなのですね。

なお、上のコメントですけど、「期間を区切って」というその期間は、「コロナが実質ゼロになるまで」ですよ。ゼロコロナなのですから。だから、その期間でコロナがゼロにならない、なんて心配は無用です。

心配しなくちゃいけないのは、期間がどれほど長くなるか、という問題。対応が中途半端だと、いつまでたってもロックダウンが終わらない。最悪、外出禁止令に違反するものを射殺する、くらいの覚悟でやらなくてはいけません。ま、そこまでは行かないで済むとは思いますけど、立憲民主党にそういう覚悟があるのか、私には、はなはだ疑問です。


加藤洋行

>なぜならば、コロナと共存する以上、どれほど危ない変異株が登場してくるか、わからないからなのですね。

それは、過去のインフルエンザも同様でしょう。

>なお、上のコメントですけど、「期間を区切って」というその期間は、「コロナが実質ゼロになるまで」ですよ。

期間の問題よりも「どういう方策をどの程度集中的にやるか」という具体的な方針が重要でしょう。それが示されていないので、説得力がまるでありません。


瀬尾 雄三

加藤洋行 さん

> それは、過去のインフルエンザも同様でしょう。

これ、前々からお話しているのですが、インフルエンザは総称で、新型コロナは単独の種なのですね。だからインフルエンザのワクチンは、いくつかの型を混合して打っております。

もう一つの違いは、インフルエンザウイルスは、シベリアの湖などで自然に増殖し、これを渡り鳥が我が国に運んでくる。だから、日本の感染者をゼロにしても、鳥の糞などから感染が拡大してしまうのですね。幸い、インフルエンザの致死率は、新型コロナほどではないので、ある種の共存が成り立っているのですが。

新型コロナは、これまでのところ、人から人への感染が大部分なので、街中の感染者をゼロにすれば、それ以上の感染の恐れはなくなる。もちろん、海外から持ち込まれることを阻止するため、検疫は確実にしなくてはいけません。

多くの感染症対策がそうやっており、市中の感染者を実質ゼロにして、安心して暮らせるようにしている。新型コロナも同じようにすればよいだけの話なのですね。逆に、市中に新型コロナウイルスを温存すると、ちょくちょく発生する変異種に怯えなくてはならなくなる。これはちょっと困った話です。


瀬尾 雄三

加藤洋行 さん

> 期間の問題よりも「どういう方策をどの程度集中的にやるか」という具体的な方針が重要でしょう。それが示されていないので、説得力がまるでありません。

戦術の問題と戦略の問題は別物なのですね。戦略の要は数理モデルの問題だけど、戦術の要は医療の問題、といえばわかりやすいかな? 全部が全部そう、というわけではないのですが。それに、戦術の問題は、すでに多くの人たちがやっているではないですか。要は、選択の問題であり、社会の実情に合わせて選んで実施すればよい。

戦略上の問題は基本的に、感染症が安定点のある現象、負帰還のかかっているクローズドループ、オートポイエーシスというと誤解を招きやすいかもしれないけれど、ルーマンのオートポイエーシス、いわゆる「自律性」が成り立っている現象だと勘違いしたことにあるのですね。

実際には、感染症はカタストロフィックな現象で、安定点はない、不安定な静止点があるのみで、正帰還がかかっており、いずれかに傾くと一気にその方向に行ってしまうような現象だということです。

つまり、新型コロナのような、人から人への感染が主体である感染症は、新規の患者数がゼロになるか、あるいは全員が感染するかの二つに一つが安定な解となる。その他に、制御をおこない適度な規模の感染を保つこともできるけど、これは極めて不安定なやり方で、変異株が出てくる以上これは成り立たない。ここにきて、人々はこれに気付きつつある、というわけです。


加藤洋行

瀬尾 雄三

つまり、変異株の出現で「ゼロコロナ対策」の説得力がなくなったということですよね。元々、立憲民主党のいうことに説得力はないけど。現状は「ゼロコロナ」どころか、まず感染者を減らすことに四苦八苦している。


瀬尾 雄三

加藤洋行 さん

世の中で起こっている現象には、バランスが取れる現象と、その逆の現象がある、ということをご理解いただかないといけません。

振り子は、普通の状態では、重心が支点の真下にきて安定する。でももう一つの静止点があって、重心が支点の直上にある場合も動かないのですね。この場合、錘を左右何れかに動かすと安定が崩れて錘は一気に下に向かうのですね。戦争時の兵力の変化も同様の過程をたどることが知られていて、要はどちらかが勝ち、どちらかが全滅して終わる。これも同じ現象です。

ナポレオンの数学好きはよく知られているのですが、敵味方の歩兵数をX座標とY座標とする点は円軌道を描いて近い方の軸に向かうということを知っていた。だから兵力をどのように動かせば、最小の犠牲で敵を全滅に追い込むことができるかが把握できたのですね。

この数学、結局のところ兵力が多い方が勝ち、兵力差が大きければ大きいだけ、犠牲は少なくて済む、というのが結論です。ここから、「兵力の逐次投入は避けるべき」というよく知られた知見も導かれます。ハンマー・アンド・ダンスって、実は兵力の逐次投入なのですね。

戦争を遂行するに、殺し合いの技術以外に、この手の戦略もしっかりと把握していることが勝利の条件なのですね。疫病対策も、医学の他に、疫病の感染過程を把握する数学者が必要です。新型コロナの第一波が沈静化できたのはおそらく西浦氏の存在が大きかったのでしょう。そしてその後の対策が失敗しているのは、彼のような人材を得られなかったから。まったく、日本は何をやっているのかと思いますよ。プラトンの洞窟で外の世界を知った人を殺してしまうような話です。これって、ひょっとして、日本もそうとうに未開、ということかもしれませんね。


Tetsuharu Kawasaki

サッカーの試合見てて「点数取れば勝てるんだ!点数取れ」としか言わない人のようなもんです。


瀬尾 雄三

Tetsuharu Kawasaki さん

以前、海外のヒトコマ漫画に面白いのがありました。

スポーツ中継を見ている旦那に、奥さんが、「あんた、同じ番組、何度見れば気が済むのよ」というのですね。このギャグのポイントは、スポーツを知らない人には、どのゲームも同じようにみえる、ということです。

自然現象の裏に潜む数学的原理が理解できない人というのは、スポーツというものを知らない、このヒトコマ漫画の奥さんのようなもので、どの試合も同じゲームの繰り返しのように見える。面白い話です。

ファインマンはちょくちょく、C.P.スノーの「二つの文化」という話を口にしておりました。これ、世の中には数学のわかる人とわからない人がいる、ということですね。そしてこの二種類の人の間には、越えがたい断絶がある、と。

今回の新型コロナの問題も、実は、この二つの文化が大きな問題になっているのかもしれません。そして、一般の人が数学がわからないことは、さしたる問題でもないのだけど、厚労省の人たちがそうであるとすると、これは由々しき問題なのですね。まさか、とはおもうのですが、、、


Isao Matsumoto

ウイルスというものがわかっていらっしゃらない。
パンドラの箱から零れ落ちたウイルスは二度と箱には戻りません。それが熱力学の第二法則みたいなもんです。
ウイルスを完全にゼロにするには人間を皆殺しにするしかない。豚熱とかでやってるあれです。

どう考えてもワクチンによる集団免疫作戦の方が賢明ですよ。
瀬尾さんの限界を見ることになって残念。


瀬尾 雄三

Isao Matsumoto さん

> パンドラの箱から零れ落ちたウイルスは二度と箱には戻りません。それが熱力学の第二法則みたいなもんです。

ということですが、これまで流行った多くの感染症は実質ゼロとする対処に成功しています。

SARSしかり、MERSしかり、新型インフルエンザしかり、、、

もちろん数学的なゼロではないかもしれませんけど、だいじなことは「実質」なのですね。サブスタンス・オーバー・フォーム、です。

何で、新型コロナでそれができない。不思議な話です。


Isao Matsumoto

SARSは致死性が高いので感染効率も高くない。でも危ないところでしたよ。そもそも感染者がけた違いに少なかったからですね。
もっと増えてたら無理だったかもしれません。当たり前の病気になっていました。そもそも現コロナに比べると感染効率はだいぶ悪いです。

MERSは人から人への感染はしなかったはず。

新型インフルエンザは今でもいますよ。思ってるより人類にとって毒性がなかっただけですね。ゼロにはなっていませんね。(去年もコロナと一緒に中国で発生していたじゃないですか)

天然痘はワクチンによってはじめて制圧されました。

エボラの感染効率は触らなければ大丈夫なので比較になりません。
HIVは別に制圧されてませんね。

さて、感染者がすでに数億人を超えている感染効率の高いコロナを、ワクチンなしでロックアウトだけでゼロにできるか。
これは確率論的に無理なんじゃないですか。
ワクチンを使わない限りは、コロナを鎮めるのはまず絶対に無理でしょう。

ナポレオンの例をあげれば、投石で戦う軍隊で、銃を使って戦う軍隊を打ち破ろうとするようなものです。
もっと簡単なのは、銃には銃で戦えばよい。
石で機関銃をもった相手と戦うのは無理なんです。そんな努力は無駄です。


瀬尾 雄三

Isao Matsumoto さん

> さて、感染者がすでに数億人を超えている感染効率の高いコロナを、ワクチンなしでロックアウトだけでゼロにできるか。

ワクチンなしとは言ってませんよ。

昨年6月の時点なら、ワクチンなしでもゼロにできたでしょう。ウイズ・コロナなどといわず、ゼロ・コロナを目指していれば、の話ですが。

現在にしたところで、ロックアウトを厳しく行えば、原理的にはワクチンなしでも、ゼロコロナは可能でしょう。でもそんなことをすれば、コロナ以外での犠牲が多く出すぎます。

ここまでくれば、ワクチンとその他の対応の組み合わせで、ゼロ・コロナを目指すしかない。そこで目指すべきが、ウイズ・コロナではなくて、ゼロ・コロナである、ということを言いたいわけです。

1 thought on “大串博志氏の5/9付けBLOGOS記事「今こそ、『ゼロコロナ政策』への転換を」へのコメント

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