御田寺圭氏の5/27付けBLOGOS記事「お金持ちは『優先されるのが合理的』?運転マナーの悪い高級車が多いワケ」にコメントしました。
経済状況をみるに、フローとストックという切り分けがあって、お金持ちという概念はストックに属する概念なのですが、このエントリーで扱っている「お金持ち」は「高所得者」的意味合いで、フローに属する概念なのですね。だから、普通に言う「お金持ち」の生き方からみると少々おかしい、「成金」的イメージを持たれてしまうのでしょう。
お金を稼ぐ目的は、少額の間は生活の安定や物欲の充足なのですが、最終的には精神的な安定や社会的な尊敬を勝ち得るところにあって、つまるところ「いいひとだー!」「偉い方だー!」とみんなに思われることが最終的な目標になるわけですね。だから、功成り名を遂げた人たちは、文化芸術のパトロンになったり、病院だとか学校だとかに寄付をしたり、自分自身が学問文化の道に邁進したりするわけですね。
一方で、フローの面での高額所得者も、フェアな取引で多額の収入を得ているのであればそれは尊敬に値する。つまり、その人が社会に提供している価値が経済的に高く評価されるからそれ相応の収入を得ているわけで、大きな価値を作り出すことのできる人間は、それなりに尊敬に値する。芸術家にせよ、経営者にせよ、スポーツ選手にせよ、そうであるわけですね。
でもそれには公正な取引が前提となっており、危険な運転をするのはあまり尊敬には値しないはず。そういうことをして、己の提供している価値以上のものを得ているのではないか、などという疑いをもたれてしまうと、その人の社会にとっての価値はトータルマイナスという評価になってしまい逆効果です。
学問芸術なり研究開発の世界のひとは、お金がなくても昔の大金持ちがなし得たような社会貢献ができるかもしれない。今ではネットというものもあり、そうする機会は山ほどあるのですね。お金を目的とするのではなく、最初からそっちの路線を狙うというのも一つの道かもしれません。大いに頑張りましょう。
5/30:コメントを追加しました。
そういえば、一つ思い出しました。
「やばい経済学」という書物に、クッキーの無人販売における代金回収率と販売場所に関する興味深い調査結果が紹介されていました。その中で、役員フロアでの料金回収率が低い、などというデータが得られています。その理由を同書の著者、ダブナー氏は次のように書きます。
> さらに彼は、会社での地位が高い人のほうが低い人より支払いをごまかすことが多いと考えるようになった。そう思うようになったのは、フロア3つ――一番上が役員フロア、下2つが営業、サービス、管理に携わる従業員のフロア――に分かれた会社に何年も配達を続けてからのことだった(役員たちの特権意識がいきすぎてそういうことになったのかもとフェルドマンは考えている。彼が考えていないのは、そもそもそういう連中はインチキしたからこそ役員になれたのかもってことだ)。
もちろん、著者のダブナー氏、セルフサービス式ベーグル業を営むフェルドマン氏が考えていないことを考えていること、間違いないのですが、そういうことが運転マナーに関しても言えるのかもしれませんね。
つまり、マナーの悪い運転も平気でするような人でないと、お金持ちにはなれない、ってことだ。思わず納得してしまう解釈です。
私にお金をくれないお金もちは害だ。
だからいなくなってくれた方がいい。
そんなお金持ちの時間などなくなってしまったらいい。