橋下徹氏の5/30付けBLOGOS記事「日本で0コロナを目標にすれば、とんでもない社会経済活動の抑制が必要…」にコメントしました。
そりゃ、数学的にゼロを目指すのは非常に困難でしょう。でも、「実質ゼロ」を目指すなら、それほど難しくはないのですね。
「実質ゼロ」とはいかなる状態を指すかといいますと、「街中を歩いていて新型コロナに感染するリスクが無視できるレベル」という意味で、営業自粛などする必要がないことは当然として、普通の人はマスクもいらなければ、外出を控える必要もない、という意味なのですね。
どうすればこういう状態ができるかといえば、実効再生産数を1未満の状態に「継続的に」保てばよい。継続的という意味は、感染者数が減ってきたからといって、警戒を緩めて、感染の再拡大(=実効再生産数が1以上)を招かないようにすればよいのですね。
そのために必要なことは、感染リスクのある間は、感染防止処置をきちんと取ること、感染者が発生したら周囲の人を検査して未症状の感染者も含めて隔離してしまうこと、入国時の検疫をしっかりと行うこと、ワクチン接種率を上げること、などなどで、要は、感染者、陽性者が減少し続ける状態をキープすればよい。減り続ければ、いつかはゼロになる。簡単な算数です。
たいていの病気はそうやって、リスクを無視できる程度まで低下させております。もちろん、普通の風邪やインフルエンザは、自然界から持ち込まれますから、ゼロは無理なのですが、さいわい、新型コロナに比べれば危険性は低いしワクチンも効いている。変異株を作りやすい新型コロナは、これが自然界で繁殖を始める前にゼロコロナを達成しませんと、この先の人類は少々狂暴な風邪インフルエンザの類を相手にすることになる。これは避けたいところなのですね。ここが、頑張りどころです。ここで何とかするしかありません。
返信がついております。
Isao Matsumoto
それは社会経済活動の停止ではなく、ワクチン接種率の向上によって達成した方が、コストと効率の両面において優れているという話ですよ。橋下さんのいってることは。
瀬尾 雄三
Isao Matsumoto さん:このエントリーには、ワクチンのワの字も書かれておりませんよ。
維新の従来からの主張は、新型コロナの感染者をゼロにすることは難しいから、若い人を中心にある程度の感染者が出ることは許容して経済を廻せ、というものだったと理解しております。
そして、この主張は、私が維新に対してもつイメージである「フーゾク寄りの姿勢」と整合しているのですね。でもそれではだめというのが第二波の東京での感染拡大だったはず。おそらく、関西でも、九州でも、北海道でも、沖縄でも、似たような状況があったのではないでしょうか。
ワクチンはワクチンで極めて有力な手段であることは間違いない。だけど、ワクチンで感染者が減ったからといって、他の感染防止策を止めてしまったら、ワクチンの効果は半減してしまいます。
私が指摘しているのは、目標とすべき状態の話であって、ワクチンも含めて、目指すべきはゼロコロナだといってるわけですね。つまりは、さしたる防衛手段を講じなくとも、コロナ感染リスクが無視できる程度に低い、という状態を作り出すこと。普通、疫病対策といえば、そういうことになるはずなのだが、、、
石橋 貴行
しかしながら中国が今のような秘密主義を取る限り、公的な水際検疫強化は不可能ですね。
Ratg13でしたっけ?3年前に鉱山労働者が死亡していたときに国際社会に報告していれば…2年前の末に武漢の風邪流行についてSNSブロックしてなければ…昨年すぐWHOの査察を受けて原因を究明していれば…
人類にとって中国は鎖の弱い輪です。瀬尾 雄三
石橋 貴行 さん:この手の問題は、他人が悪いと行ってみたところでどうなるものでもありません。我が国はいかにするか、これをまさに我々は考えなくちゃいけない。
そして、フーゾクなり水商売なり夜の街の規制を緩めることが感染拡大を招くなら、これは、コロナが終焉するまで我慢し続けるしかない。
感染者数が減少したからといって規制を緩めて再び感染拡大を招く、それもだんだん感染の規模が激しくなる。船が右に傾いたからといってみんな左舷に移動して左に傾く。これは大変と逆に移動するなどということを繰り返しているうちに船が転覆してしまう、といったたぐいの、愚かなことをやっていることに気付かなくてはいけません。
まあ、さすがに波を4回繰り返せば、いくらぼやッとした人でも、これは少々まずいのではなかろうかと気づくはず。だけど、それに気づいても、己の愚かさを認めたくないがゆえに、気づいたこと自体に気付かない。それが最近の人びとの心の奥底にある、イライラ感の元だと思いますよ。
フロイトじゃないけど、この手の精神状態(抑圧故のコンプレックス)は、それを認識することで治すことができる。だから、この解決はそうそう困難ではない。なにぶん、ほんの少しの理性を働かせれば、これに気付くことはさほど難しくはないのですね。ま、良いのではないでしょうか。
石橋 貴行
なるほど、でしたら「入国時の検疫をしっかり行う」という当初の主張は引っ込めていただいて良いですか?精々「できるだけ検疫する」くらいで。
病気の正体がわからなければ、検疫の根拠がなくなります。最悪、「ハンセン氏病で差別をした日本鬼子が中国人民を差別、抑留している!相互主義にのっとり、改善されるまで国内の日本人も同様に抑留する」となってもおかしくないのでは。
イギリス、インド株は情報開示が積極的にあったからこそ、おっとり刀とはいえ検疫の強化に動けたと考えます。瀬尾 雄三
石橋 貴行 さん
> なるほど、でしたら「入国時の検疫をしっかり行う」という当初の主張は引っ込めていただいて良いですか?精々「できるだけ検疫する」くらいで。
????? 「入国時の検疫をしっかり行う」というのは、日本サイドで行うべき具体的な行動ですよね。「中国が悪い」といい続けるような、何の役にも立たない言動とは全く異なる行動です。
あいつが悪い、こいつが悪いといっておれば、気分はすっきりするかもしれませんけど、その結果何が良くなるかといえば、なにもよくならない。
まずは何をしなくてはいけないか。そこのところをしっかりと考えていかなくてはいけません。多分それは、「実質ゼロコロナ」に目標を改めることだと思いますよ。
石橋 貴行
やはり…まあ仕方ないですね。
「まずは何をしなくてはいけないか」ですか。今回のインド株や英国株は、これまでより少数のウイルスで感染が進むため、布マスクやウレタンマスクなどでは役不足だそうで。
この知識も広い国家間の研究者同士の連携の賜物なんですが、しかしそんな知識を表に出さない迷惑なエリアがあったら、これはもう効果的な対策は不可能になる訳ですね。
また、AZのワクチンはどうも成分が安定してないなんてデータが出ているようですが、これも中華ワクチンに比べれば情報開示があるだけマシというもの。
https://t.co/uhCrw7zlzg https://t.co/eRUzqEuMSh石橋 貴行
隣国から常に入ってくる状況が想定され、またそれを止める法改正が望めない以上、ゼロコロナなどという言葉を使い油断を誘うべきでは無いと考えます。
瀬尾 雄三
石橋 貴行 さん
> ゼロコロナなどという言葉を使い油断を誘うべきでは無い
「ゼロコロナ」という概念を「安易な道」的な概念で使う人もどこかにおられるのかもしれませんけど、実際の意味は、「実質ゼロになるまで対応の手を緩めるな」という、極めて厳しい目標設定なのですね。
そういう意味では、立民の方々が何を考えておられるのか、少々謎ではあります。(何も考えていなかった、というのが正解かもしれません。)
他の方のコメントに返信を入れました。
Tetsuharu Kawasaki
今日の日本で実効再生産すう1を切ってるんだが
瀬尾 雄三
実効再生産数は、感染者が増加しているときは1以上、減少しているときは1以下となるのですね。現在は第4波が収束しつつありますので、感染者は減少し、実効再生産数は1を切っている。
問題は、この実効再生産数が1未満の状態をずっと続けられるかどうかという点で、これまでは、ある程度感染者が減少すると、感染防止への対応が緩まり、再び感染者数が増加する(=実効再生産数が1以上になる)という繰り返しをしている点なのですね。
こうなる理由は簡単で、感染防止への対応は、夜間の酒場の営業自粛など、社会の様々な人たちに犠牲を強いているわけで、感染者数が減ってきたら対応を緩めてくれという声が出るのはわからないではない。しかし、ここで対応を緩めて再び感染拡大を招いてしまったら、いつまでたっても同じような状態が続いてしまうのですね。それが、過去一年間繰り返されてきたことなのですね。
現在は、ワクチンがあるので、この効き具合によっては対応を緩めても感染拡大は生じないかもしれない。でも一方で、インド株の感染拡大という問題もある。先が読めないことは確かで、確実なことは言えない。でも、これまでの戦略に問題があったのならこれを修正していかなくてはいけない。それが、ゼロコロナにハンドルを切らなくてはいけない、ということなのですね。
少なくとも、過去一年間、この調子でやってきた結果被った損失は甚大だ、ということに気付かなくてはいけない。昨年6月時点でゼロコロナに向かっていたら、今頃は、コロナ感染に対する心配など不要で、普通の経済活動ができていたかもしれない。そういうことを、考えてみるのも有意義だと思いますよ。
Tetsuharu Kawasaki
波イコールたまたまなの?
波イコールゆるみなの?
規制厳しくても波が来た国あるし瀬尾 雄三
Tetsuharu Kawasaki さん
少なくとも、実効再生産数が現在1を切っていることは、新型コロナ問題が安心してよい状況であるといえる根拠にはならないのですね。つまり、再生産数が上がったり下がったりすることに、これまでの新型コロナの問題の本質がある、ということです。
ノーバート・ウィナーは、手の震えなどの様々な自然現象に制御系の数学をあてはめる「サイバネティックス」という新しい学問分野を作り出したことで知られるのですが、コロナの感染者数の波うちも、お年寄りなどの手が震えることと似た現象でもあります。
つまりは、問題が深刻化すると対策する。対策すると問題は解決に向かう。解決すると対策を緩める。そうするとまた問題が深刻化する。これが線形の問題であれば、制御系は安定しやすいのですが、非線形であったり時間遅れがあったりすると、振動が発生しやすい。
ここで起こっているのは、一つの数学的な問題、でもあるということを理解しなくちゃいけません。まあ、たいていの問題が、そうであるのだが、、、
どうしましょう