シロクマ氏の6/13付けBLOGOS記事「『何者かになりたい』人に必要なコミュニケーション能力」にコメントしました。
「コミュニケーション」によく似た言葉に「コミュニティ」という言葉があり、このエントリーの趣旨は、どちらかといえば「コミュニティの一員になるには」という意味合いが強いように思われます。ちなみにこの言葉、いずれもラテン語で「共有」を意味するCommunisから来ているとのこと。似ているのは当然です。
で、コミュニティですけど、コミュニティの三要素というのがありまして、コミュニティの一員であるためには次の三つ必要なのですね。まずは「我々意識」、そのコミュニティに帰属しているという意識を持つこと、次に「相互依存関係」、そのコミュニティから何かを得ているということ、そして「役割意識」、そこに何らかの貢献をしている、という実感なのですね。
「我々意識」に必要な条件がコミュニケーションで、情報交換の量が近接性(関係の近さ)を作り出す。相互依存関係は、それが役に立つという実用的な要素でギブ・アンド・テイクで成り立っているのですが、「役割意識」がギブの側、このエントリーでいう「何者か」なのですね。これ、南米の仮面劇で使われる、役割を表す仮面(ペルソナ)にちなんで「パーソナリティ」とも呼ばれる。
人がこの社会(コミュニティ)の中で何者かになるためには、己のパーソナリティを確立すること。それは、コミュニティ全体に貢献する役割を引き受けること、それにふさわしい行動様式(パーソナリティ:仮面)を身に付けることが大事だということでしょう。
そしてこれを意味あるものにするために必要なことが、近接性。このコミュニティの人びとと、できるだけ多くの情報を交換すること。これによって、他人の求めているものを知り、己のできることを人々に知らしめる。そうして、相互の依存関係を確立していく、ということじゃないか、と思いますよ。人は、役に立つ人を粗末にしたりはしない。ま、例外はあるのですが、、、
私はコミュ障なので。。