石破茂氏の6/25付けBLOGOS記事「東京都議会議員選挙告示など」にコメントしました。
昭和49年に文藝春秋11月号に発表された「田中角栄研究」が田中内閣退陣のきっかけを作った、とよく言われますが、きっかけとなったのはむしろ同誌に併せて掲載された、児玉隆也氏の「淋しき越山会の女王」ではなかったかと記憶しています。
本当のきっかけは、外国人記者クラブにおける記者会見で、Wikipedia「日本外国特派員協会」によれば、その状況は次の通りでした。
著名な例としては、1974年10月に月刊誌「文藝春秋」上でジャーナリストの立花隆により資金問題を追及された田中角栄首相が、同月22日に主催会見に招かれた際に会員記者からの質問攻めに逢い、その模様が国内外のメディアに流された結果、それまで田中首相の資金問題について取り上げることに躊躇していた日本の大手メディア(新聞やテレビ、通信社)も、資金問題を大っぴらに報道するようになった結果を呼んだと言われている。
田中角栄氏の収賄事件が大問題であることも事実ですけど、この事件は、我が国におけるジャーナリズムが、実はメディア側の自主的な言論統制下にあることを世界に知らしめたという意味で、エポックメーキングな事件だったのですね。
この状況は、今日まで続いており、我が国の言論の自由度は、世界でも下のレベルであり続けております。そして、日本には真のジャーナリズムは週刊誌くらいしかない(上杉隆「ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)」)といわれているのですが、立花隆氏は文春砲が大活躍する嚆矢となった方でもあったわけです。
>>4年前、森友・加計問題が報じられた直後に地方創生担当大臣として街頭演説に立った時の有権者の政権に対する怒りは凄まじいもの
凄まじかったか?