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BLOGOSに関して

2022年3月末でBLOGOSが新規エントリーの収集を停止しております。本ブログでは、BLOGOSに寄せたコメントをカテゴリーBLOGOSでご紹介してまいりましたが、この趣旨と今後の方針について、以下記しておきます。


そもそもの始まり

そもそもBLOGOSに私がコメントを寄せるようになりましたのは、アゴラにコメントを書きましたのと同じ理由、「おかしな常識が広がらないようにする」という目的でした。

当時のアゴラには、池田信夫氏とその取り巻きと思しき人々により、福島事故と放射線被ばくを軽視するがごとき主張(それも単純な計算違いなど、事実に反する主張)に反論を加えることが目的でした。

この手の反論、原発反対派の人びとが良く行うため、私もその手の人びとであると誤解を受けることも多々あるのですが、実は、今日我が国で原発の稼働が思うようにできない理由は、この手の原発の安全性に関する過度に楽観的な、しかも科学的事実に反する主張が多々行われているためであり、しかもそれを多くの人々がうすうす気づいてしまっていることによると、私は考えているのですね。

何しろ福島の事故以前は、こんな事故は絶対に起こらないと、当事者がずっと主張してきたわけで、それでは、事故後に以前の主張の誤りを認めたかといえばそんなこともない。おそらくは、福島の事故は、まず起こるはずのない(無視できるほど低い確率の)事故が、たまたま、不幸にして起こってしまった、と当事者たちは主張されたいのではないかと思います。少なくとも、関係者はそう考えていると理解するしかないように思うわけです。

ところが、「めったに起こらないことなど、めったに起こるものではない」という厳然たる事実があり、福島の原発事故が「めったに起こらない災害」であったのか「起こるべくして起きた災害」であったのかと考えれば、それはまず間違いなく後者であろう、と普通の人は考えるのですね。そして、学問的にもそう考えるのが正しいこれは論理学でいう「平凡原理」と呼ばれるもので、「事実の大部分は平凡である」という至極当たり前の原理によります。

もちろん、ごく低い確率で「めったに起こらないこと」も起こることがある。ただそれはレアケースなのであって、そうであると主張するためには、そうであることを示す、十分な証拠が必要なのですね。

福島の事故の場合は、原子炉の設計に際しては、信頼性工学の知見を活かして、原子炉本体の事故確率を1,000万年に1度以下(< 1/10,000,000炉年)となるように設計していると、福島の事故以前には電力会社は述べておりました。だからこれが、手落ちなく、正しく行われていることが示されるなら、福島の事故は恐るべき偶然によるといえるでしょう。

ところが、実際には、千年に一度の津波を無視した津波対策がおこなわれていたのですね。千年に一度の津波対策を怠れば、事故確率は1,000年に1度程度(≒ 1/1,000炉年)に増加してしまう。原子炉本体の事故確率の、実に、一万倍になってしまうのですね。そして福島の事故は、まさにその、無視した津波によって起こってしまった。

我が国には50炉近い原子炉があり、既に20年以上は運転されているわけで、その積は1,000炉年ないしそれ以上と見積もられる。これは、無視した津波による事故確率である1000年に一度(1/1,000炉年)と、見事に符合してしまう。もちろんここまでの一致は「たまたま」であるとは思いますが、この事故は「起こるべくして起きた事故」であるとしか言いようがない

起きた事故は仕方がないのですが、その蓋然性を否定するような言説が当事者やそれに近い人々から語られているという事実は、極めて危険な状況を示しています。つまり、この事故は繰り返されるであろうというわけだ。

この程度のことは普通の人たちにも見透かされてしまっている。これが我が国で原子力発電が利用できない最大の原因だし、安全な利用のためには、このような誤った考え方は改めなくてはいけない。それが、アゴラにコメントを寄せた最初の理由だったのですね。

アゴラにおかしな記事があるならアゴラにコメントするのが妥当なのですが、アゴラはまずいコメントを寄せる人を簡単にブロックするという悪い癖があります。当然のことながら、私のコメントもあっさりブロックされてしまったのですね。

でも、アゴラがそういう場であることは多くの人が知るところとなっておりましたし、池田信夫氏の言説を怪しむ人々も多く、これはこれで、放置してもさほど問題はない。「アゴラは原子力村の広報誌」程度の認識を多くの人がもっておれば、そこで何を言おうと、さしたる害毒にはならないのですね。

BLOGOSにコメントした理由

一方で、これがBLOGOSに出てくるとなりますと、これを無批判に放置したのではそれが正論とみなされる恐れも無きにしも非ず。ここはきっちり反論しておく必要があります。

とはいえ、BLOGOSへのコメントは、STAP細胞をめぐる小保方叩きに関して、いくつか苦言を呈したのが始まりでした。確かにこの方、研究者としては少々問題のある方ではあるのですが、叩く側にもいろいろな問題が目につきましたことから、少々苦言を呈した次第。

実際、行き過ぎた小保方批判のおかげで、多くの研究者に火の粉が降りかかる、などという困った現象も起こっておりました。研究などというもの、あまり恐る恐るやっていては進歩を阻害するもの。ある程度の批判は受け入れる覚悟で、大胆な仮説を提示するぐらいがちょうどよいのですが、、、

原発関係では2013年10月31日付の日経新聞記事「原発安全性に数値基準 米国流でリスク厳格評価」を扱いました菅直人氏のエントリー「答えられない「世界で最も厳しい水準」の根拠」へのコメントが比較的初期のものです。これについては、次のようなコメントをいたしました。

2013/10/31付けの日経新聞に「原発安全性に数値基準 米国流でリスク厳格評価」と題する記事がありました。おそらくはこの一環として調査をされた結果が洩れ伝わっているのですが、非常用発電機を分解点検する際に移動式の発電機を準備するという話を聞いて「そこまでしなくちゃならないのか」との感想をもたれたとの趣旨でした。

実は、東日本大震災の約1月後の余震で生じた停電の際、東通原発の3機の非常用発電機が2機とも動かないという事態が発生しました。残る1機も運転中に油漏れが発生し、数時間後に運転を停止してしまいました。

この直後出された保安院の見解は、「規定どおりに行われており問題はない」とするもので、私はこれを聞いてびっくりしたものです。世界一安全になるかどうかはわかりませんが、せめて米国流のリスク厳格評価程度はしっかりしていただきたいものです。

まあ、これは菅直人氏が日経新聞の原発推進派寄りの姿勢を批判したエントリーに解説を加える形であるのですが、他に放射能汚染の広がりを矮小化するようなエントリーなども出ており、このあたりは事実に反する旨をきちんと指摘する必要ありと痛感した次第です。

その後では、たとえば2014年05月22日に中妻穣太氏のエントリー「『事実』と『正論』を揃えよ―美味しんぼと“三国鼎立”」へは、以下のコメントを行っています。

この「福島県放射能測定マップ」はちょっとまずいですね。

最小を示す青の点は0.25μSv/h(約2mSv/年に相当)であって、安全とされる目安1mSv/年の2倍程度であり、右側に表示されている他の地域よりも一桁高いレベルであるように読まれてしまいます。

なぜもっと小さな値もきちんと示さないのでしょうか。県民を安心させようという意図の元に表示にし方に手を加えているように思ってしまうのは私だけでしょうか。そんなことをせざるを得ないのは、実は危ないからではないか、などというあらぬ心配を招く危険はないのでしょうか?

この手のデータを示す場合には、客観的な基準(この場合は1mSv/年)に対する位置づけがきちんとわかる形で行うべきだと思いますよ。

これと似たコメントはいくつかつけております。その他、経済、働き方、外交政策などいくつかのテーマをめぐってコメントし、最近ではコロナに関するコメントも多数つけております。これらは、長年研究開発に従事し、経営学、技術経営などの専門教育も受けて得た、私の専門的知見に基づくコメントであり、単なる素人の思い付きからは一歩出ているものと自負しておりますが、その高さがどの程度であるかとなりますと、これは我田引水自画自賛の世界ですから、あまり多くは語らないようにいたしましょう。

今後の方向

BLOGOSにコメントした理由が「誤った言説の独り歩きを防止すること」であるわけで、BLOGOSがその拡散を停止する以上、コメントを出す必要もないと思われます。

BLOGOS執筆陣の個人ブログはアクセス可能ではありますが、これはあくまで個人の意見で、よほどおかしなものが出てこない限り、あえてコメントする必要もないものと思います。

むしろこの先は、BLOGOSコメントにとられていた時間を、自らのコンテンツの充実に向けることができると考えており、こちらを再開したいと思います。

なお、ここに置きましたBLOGOSコメントは、消す理由もなくこのままおいておきますが、いずれBLOGOSが閉鎖されますと多くのリンクが切れてしまいます。これに関しては、BLOGOS閉鎖までの間にオリジナルの記事へとリンクを貼りなおす必要がありそうで、こちらは暇を見てじわじわとやっていく所存です。

1 thought on “BLOGOSに関して

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