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中国のコロナ対策

アゴラ経由で到達したヒロ氏の4/27付けエントリー「中国過剰コロナ対策のツケ」へのコメント、ブログ限定です。


徹底した対策(中国式)の問題点

しばし鳴りを潜めていたご当地中国のコロナですが、最近再び感染が拡大し、中国政府は徹底した検査とロックダウンで対抗しております。隔離施設にするため集合住宅の住民に立ち退きを迫って住民の抵抗を招いた、などというニュース映像がテレビで流れておりました。

新型コロナ対策として、徹底的に検査して陽性者を隔離するという政策は、理屈としては正しい。なにぶん、新型コロナの感染は、渡り鳥などからの感染も無視できないインフルエンザなどとは大いに異なって、人から人への感染がほぼすべてなのですね。だから、街中を出歩く感染者をゼロにしてしまえば、誰も感染する恐れがない。

ところが、現在、コロナ感染の有無を検査するために使われているPCR検査は、それほど完全なものではない。これが、全員を検査して陽性者を隔離するという政策を非現実的なものにしてしまいます。

まず、感染者を見逃してしまう(陰性と判断する)確率が30%ほどある。感染者の7割しか陽性と判断できないのですね。だから、検査を行って陽性者を隔離しても、感染者の3割は街中に残ってしまう。この人たちがさらに他の人たちに感染させてしまうと、感染は依然として拡大してしまうわけです。

もう一つの問題が偽陽性で、コロナに感染していない人も1~5%の割合で陽性と判断されてしまうという問題があります。これは、感染者が少ない場合の大問題で、誰も感染していなくても、人口百万人の都市で全数検査をおこなえば3万人前後の人が陽性と判定される。そしてこの人たちを隔離するという大騒ぎが起こってしまうのですね。

検査の意味

PCR検査は完全なものではない。でも、感染者をかなりの率で見分けることができますから、感染を疑われた人や感染者である場合に影響の大きい人に検査を行い、コロナであるか否かに応じた対応を取る判断材料とすることは正しい対応です。検査をすべきケースを具体的に上げれば、次のようになるでしょう。

  • コロナ感染が疑われる人:医療機関の対応を決めるためにも必要です
  • コロナ感染者の濃厚接触者:コロナに感染している可能性が高く、感染拡大を防ぐためには、感染者の周囲に発生する、二次感染者を隔離する必要があります
  • 多数の人びと(特に重篤化リスクの高い人)との接触が予定されている人:医療関係者、高齢者施設の従業員、帰省を予定している人、入院患者…

PCR検査は、検査対象の人を守るという意味ももちろんあるのですが、感染者を発見し、隔離して、それ以上の感染を防ぐという意味もあります。検査は確かに完全ではないのですが、感染者の半分でも隔離できれば、この人たちが感染させたかもしれない人を、感染させずに済むという効果があるのですね。

感染症の感染拡大には「スーパースプレッダ」と呼ばれる人が大きな影響を与えているという事実が知られています。感染した人の大多数は、他人に感染させることはあまりないし、あってもごく少数なのだけど、ごく一部の感染者は多数の人に感染させる。このような人をスーパースプレッダと呼び、感染抑制のキモは、スーパースプレッダからの感染拡大をいかに防ぐかがポイント、ということになります。

コロナの感染が始まった当初も、高齢者施設、パーティー、夜の街などでの感染拡大が問題視されておりました。こういうところで仕事をする人、頻繁に利用する人などがひとたび感染いたしますと、多くの人を感染させることになる。クラスターが発生することになります。

実効再生産数という考え方

感染症の感染者数が拡大するか減少するかを決めるパラメータが「実効再生産数」で、これは、一人の感染者が何人に『うつすか』という、その人数の平均値です。一人の感染者が一人以上にうつしていたら、感染者数は時間とともに増加しますが、一人より少ない人にしかうつしていないのなら、感染者数は徐々に減少することになります。

実効再生産数は、様々な対策によって減少させることができます。外出を控えて感染者かもしれない人との接触をx%だけ削減すれば、実効再生産数は(100 - x)/ 100倍に減少します。これに加えて、マスクでウイルスの吸引をy%だけ削減すれば、実効再生産数は(100 - x)(100 - y)/ 10,000倍に減少します。同様にワクチン、ソーシャルディスタンス、消毒などをおこなえば実効再生産数はそれに応じて減少し、これを1以下に追い込むことで社会全体の感染拡大を防ぎ、感染者数を減少に転じることができるのですね。

PCR検査にも、実効再生産数を減じる効果があり、感染者を早期に発見、隔離すれば、その人からの感染を防止することができる。感染者の隔離により街中の感染者数をz%だけ減らせば、実効再生産数を(100 - z)/ 100倍にすることができるわけです。ただしこれを徹底的にやろうと思うとコストがかかりすぎる。要は、他の諸施策と合わせて、実効再生産数を許容できるレベルまで低下すればよいわけです。

新型コロナの世代間隔は4日といわれております。つまり、ある感染者(親)にうつされた人(子)が感染者となって他人(孫)にうつすようになるまでの期間(世代間隔)が平均して4日だということですね。ということは、新規感染者数が4日で何倍になるかを見てやれば実効再生産数がわかる。ひどいときにはこれが2倍などという数字になり、感染者数はネズミ算的に増加します。

この、ネズミ算といいますのは、別名を『指数関数的増加』といい、その増加速度は普通の感覚をはるかに超えたものとなります。たとえば4日で2倍になれば、8日で4倍、12日で8倍となり、40日後には1024倍になる。初動で手をこまねいておりますと、感染が急速に拡大して医療崩壊を招き、棺桶の山ができてしまう。これが欧州の一部の国でコロナ感染拡大の初期に起きた悲惨な出来事だったのですね。

逆に、実効再生産数を1/2にすることができれば、40日後には新規感染者数は1/1024に減少する。更に40日経過した80日後には、なんと百万分の一にまで減少することになります。こう考えますと、ゼロコロナも夢ではないのですが、実際のところは、なかなか難しい。これは、病気の性質というよりは、社会的問題、あるいは人間の性質がそうしているのだと思います。

オートポイエーシスとサイバネティクス

オートポイエーシスとは、元々は生物の持つ自己生産機能を意味するのですが、ルーマンはこの考え方を社会システムにあてはめて、コミュニケーションと、人の意識と、社会の変化の相互作用を考察し、ここに自己組織化なり、安定化作用が働くということを指摘しております。また、ノーバート・ウィーナーは、生物システムや社会システムの中に制御系と同様の数理モデルの成り立ちを見出し『サイバネティクス』を提唱しております。

実は、新型コロナの実効再生産数の変動や感染拡大の波を見ておりますと、ここに一つのフィードバックシステムが生じているようにも見える。それも時間遅れを伴うフィードバックシステムで、振動を発生しながら、なかなか収束しないという性質を持つのですね。

結局のところ、感染が拡大し、死亡者の増加や医療機関のひっ迫がニュースになりますと、人々は外出を控え、やむを得ずに外出する際もマスクなどを確実につけるようになる。行政も飲食店などへの指導をおこなったり、激しい場合には緊急事態宣言を出す。逆に感染者数が減少してきますと、行政も対策の手を緩め、行楽地や繁華街への人出が増えたりする。

このようなメカニズムは、まさに人間精神と、コミュニケーション機能から構成された社会システムで、一定の安定状態を作り出す。実効再生産数を1に向かって制御するような働きをしてしまうのですね。更にはこの制御、時間遅れがありますので、振動を生じる。

このようなメカニズムは、我が国で発生した第一波から第六波までのコロナ感染拡大のピーク形成に、何らかの働きをしたのでしょう。もちろん、新しい株の流入が新たな波を作り出すといったこともあったのでしょうが、コロナを含む社会システムは、基本的に振動しやすい性質があるのですね。

どうすればよいか

理屈で考えると、どちらか極端な方向に行ってしまうということは往々にしてあります。これは、単純な論理は線形であり、単調な増加・減少しか記述できない。多くの場合、最適点は両極端の間にあるのだが、それは非線形の複雑な論理でのみ説明される。そして、複雑な論理で人々を納得させることは難しい。それは、民主主義国家における一般大衆に対しても、専制国家における権力者に対しても同じ事情なのですね。

もう一つの問題は、今日の論理は二値論理で考えるという問題がある。感染拡大を阻止するのか、放置するのか、そのいずれかを選べと言われても、どちらも選ぶことはできないのですね。コロナが蔓延するのも困るけれど、ロックダウンして経済もマヒさせても困る。でも、単純な思想は、そのいずれかに帰着してしまう。

その結果、世界の一部の国々は、いずれかの極端に走っている。その一方の代表格が中国であり、ここまでやられたら、同じことをやろうという国はあまり現れないでしょう。中国様様です。

他方の放置は、たしかに、ワクチン接種が進めば、重篤化のリスクは低下する。だから、コロナに関する一切の規制を解除して経済を軌道に乗せるというやり方は一つのオプションとしてあるでしょう。でも、コロナに関しては、まだまだ分からないことはたくさんある。変異種が次々と現れ、最近は弱毒化が進んではいるのですが、このまま弱毒性にとどまるかといえばそんな保証はどこにもない。

とはいえ、現にそれほど危険な病気ではなくなっているのだから、経済を破壊するほどのことまでする必然性もない。となりますと、おそらく解はその中間にある。私が思うには、危険な変異種が現れない限り、次に掲げる程度のことを取り進め、実効再生産数を1未満に保つことで、さほどの負担を掛けずに、中長期的にはゼロコロナを目指す、そういう方向が良いのではないかと思う次第です。

  • マスクや手指消毒などの対策は引き続き実施する
  • 有症者や多数と接触する人に対するPCR検査と隔離は確実に行う
  • ワクチン接種も定期的に繰り返し行う
  • ロックダウンのような激しい対応は取らない
  • 飲食店の平常営業も認めるが、換気や店容積当たりの客数は制約(三密防止)
  • コンサートなどの大規模イベントも、換気と観客密度の制約のみとする

そういうやり方をすれば、経済にはさほどのダメージを与えず、実効再生産数1未満をキープしてコロナをゼロに向かって限りなく減少させることができるのではないかと思います。

線形思考

少し古い書物ですが、以前ご紹介した大澤真幸氏の「不可能性の時代」には、奇妙な記述があります。これが上に述べました線形思考の典型であるように思われますので、以下、ご紹介いたします。ここで興味深い点は、価値が単調に増加・減少する線形の思想が、二値論理的判断と微妙に結びついていることです。

同書132ページで、大澤氏は、地球温暖化というリスクに対する対応として、以下のように述べます(一部を強調し、段落を追加しています。)

このままでは地球が温暖化するのだとすれば、われわれは、二酸化炭素の排出量を大幅に下げなくてはならない。だが、逆に、温暖化は全くの杞憂なのかもしれない。その場合には、われわれは今のまま、石油を使用し続けてもかまわない。

確率論が示唆する選択肢は、両者の中間を採って、中途半端に石油の使用量を減らすことだが(被害の大きさと生起確率が互いを相殺するような効果をもつので「期待値」が中間的な値をとるから)、それこそもっとも愚かな選択肢である。

もし温暖化するのだとすれば、その程度の制限では効果がないし、また温暖化しないのだとすれば、何のために石油の使用を我慢しているのか分からない。結果が分からなくても、結果に関して明白な確信をもつことができなくても、われわれは、両極のいずれかを選択しなくてはならないのである。

上の引用で私が青で強調した部分を大澤氏は「もっとも愚かな選択肢」と主張するのですが、確率論は既に確立された学問であり、これを否定するならそれなりの根拠が必要です。これを否定する理由として掲げた「結果が分からなくても、結果に関して明白な確信をもつことができなくても、われわれは、両極のいずれかを選択しなくてはならない」は、何の理由にもならない。

あえて合理的に解釈しようと思えば、これは評論家サイドの事情を述べていると考えられないことはない。つまり、確率論などという複雑な話をしても、一般大衆には理解してもらえない。だから、炭酸ガスの害なり、経済的合理性なりを主張することしか評論家にはできないのだ、と解釈すればわからないでもない。

でもこのような主張は、科学的な合理性に欠け、人々を分断する有害な主張に他ならないのですね。そして今日、この手の主張が通ってしまっている。これは、人類にとっても不幸なことである、と私は思います。

そういう事情まで考えれば、地球温暖化に対する処方箋、エネルギー問題に対する処方箋として、一般受けはしないものの科学的に正しい処方箋は、非線形解とも称すべき、中間にあると考えられる(確率論的にもベストな)最適点ということになる。それは、対コロナ戦略に関しても同じである、というのが私の考え方であるわけです。

なぜ非線形になるかといえば、対策を強化すればするほど、掛けたコストに対して得られる効果が少なくなるためです。掃除をするにしても、目立つごみを片付けることはさしたる手間もかからないのですが、チリひとつない状態を維持することは、とても大変です。で、そんなことまでやらなくても、たいして困りはしないし、大抵の人は気づかない。ただの自己満足に終わってしまうのですね。

数理計画法

上では大澤氏の記述に従い「確率論」としていますが、一般にこの手の問題は数理計画法なりオペレーションズリサーチと呼ばれる手法で解決するのが正しいやり方です。

もっとも単純な非線形問題の例として、電線太さの最適化、などという問題を考えることができます。電線の材料コストは断面積Sに比例します。一方電気抵抗とその結果生じる電力コストは断面積に反比例します。それぞれの比例係数をKm、Kpとすれば、トータルのコストは C = Km S + Kp / S という形で表されます。

下図はその一例をKm、Kpともに1のケースで示しております。この場合は、電線断面積Sが1でコストCが最小となることがわかるでしょう。このグラフは、横軸に対して非対称ですが、1/SをRとおいて、CをRに対してプロットしても、同じグラフになります。(5/8:図を改めました)

つまり、いずれの対策を徹底して行いゼロを目指しても、コストは無限大になります。そして、S = 1 / S、R = 1 / Rとなる S = R = 1に最適点があるのですね。東洋ではこれを『中庸』といって尊んだのですが、中国政府にはご理解いただけていない。これはさみしい話です。

図に中国と書きましたのは、中国におけるコロナ対策のポジションで、S=0でCは無限大に発散しております。中国流のゼロコロナ政策は、この領域を目指す施策になっているのですが、コスト無限大は実現できることではなく、社会に無用の軋轢を招くことになります。

地球温暖化への対応に関しては、西欧社会も似たようなことをやっておりますから、中国を笑ってばかりもおられません。

社会的な問題は、それほど簡単に式を立てることができません。しかし、炭酸ガス排出量を減らすにしても、照明をこまめに消すなどして無駄に使われている電力を節減することはさほどの社会的コストを伴わないのに対して、生活に必要な電力まで削減するとなりますと、これには相当な忍耐と苦痛が伴います。この間のいずれかの点に、炭酸ガス排出による被害と、これを減らすための負担とのトータルのコストが最小になる点があることは理解されるでしょう。

評論家の事情で、社会問題の解を左右するなどということは、あってはならないことなのですね。

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