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観光競争力と劣等感

黒坂岳央氏が5/27付けでアゴラに「『観光競争力世界1位』に対する日本人の奇妙な反応」なる記事を書かれています。この『奇妙な反応』、小熊英二氏が「単一民族神話の起源」で指摘された日本人の劣等感と関連する現象であるように思われます。


黒坂氏の指摘

黒坂氏は、世界経済フォーラム(WEF)が発表した2021年度の観光競争力で日本が世界一位になったことを紹介し、これは我が国の経済上歓迎すべきことであるにもかかわらず、これに対する否定的な反応がSNSに多く見られたことを「奇妙な反応」として、否定的に紹介しておられます。

日本観光の魅力が増して海外から観光客が多く日本を訪れるようになると、混雑したり、外国人犯罪も増えることが懸念されるのだけど、一方で日本経済にはプラスであるわけで、トータルすればマイナス面を埋めてなおプラスが残るのですね。

それにもかかわらず否定的な意見が多く出ることに対して、黒坂氏は「最も懸念されるべきは、このような日本人の自信のないメンタリティではないだろうか」と主張されています。

日本人の自信のなさと、外国人に対する許容度の関連に関して、そういえば似たような主張が以前もありましたね、との記憶がよみがえり、ちょっと考えてみよう、という気になった次第です。

劣等感と単一民族説

小熊英二氏は、「単一民族神話の起源」の最初の部分で、単一民族説の起こりを解説いたします。明治維新ののち、我が国が開国いたしますと、日本人とは何かという問いかけが発せられます。そして、当初は混合民族説が唱えられるのですが、「工芸志料」の著者として知られる黒川真頼は「君臣説」を唱え、日本人は古くから天皇のもとに帰一してきた民族であると唱えるのですね。(起源:p28)

今や我が邦、海外諸国と並立して対等の礼を執る、而して文学彼に及ばず、兵力彼に及ばず、城廓彼に及ばず、船車彼に及ばず、工芸彼に及ばず、商沽彼に及ばず、而して彼が我に及ばずとなすものは、独君臣の道あるのみ。

黒川のこの主張について、小熊氏は次のように解説いたします。

文学も軍事力も、建築でも技術でも経済でも、そして黒川自身が期待をかけた工芸でさえ欧米に対抗できないとなった時、彼に残されたものは、天皇のもとに結集する国民(=民族)の団結力があるだけだった。欧米人の人類学説を容れ、日本民族を征服者と先住民族の混合とみなすことは、その最後のアイデンティティを放棄することであった。それは日本の独立を維持するのに不可欠な国民の団結を分断することであり、ひいては列強による分割と植民地化に道を開くものだとの脅迫概念をそこに見出すことは、あながち不当ではあるまい。これを、その後の大日本帝国の軍事侵略や、経済大国のおごりと同一視することには、一定の留保が付けられねばならないだろう。

単一民族神話の起源」における小熊氏の一連の主張は、日本人が自信を失った時、唯一すがれる対象として天皇のもとに結集する国民としての日本民族であり、日本人が自信を強く持ったときは、混合民族説を唱えて海外雄飛の道を探るとしております。

上の引用部で、単一民族説が「軍事侵略や経済大国のおごりと同一視」することを否定するコメントがなされているのですが、このような日本人が外に向かうときは、満蒙から朝鮮半島に至る広がりの中で日本民族をとらえる大東亜共栄圏のような思想が主流になったことは、心に留めておく必要があります。

開国により外国人の日本居住が増加いたしますと、その居住を居留地のみに制限するべきか否かをめぐって「内地雑居論争」が起こります。混合民族説を唱える人々は雑居を支持する一方で、単一民族説を唱える人々は、同時にわが国を弱小国家とみなすがゆえに、雑居に反対いたします。これが観光立国に対する日本人の反応に相通ずるものがあるように、私には思えるのですね。

観光競争力世界第一位の意味

さて、では、今回の観光競争力世界第一位をどのようにとらえるべきかとなりますと、これは少々難しい。

素直に考えれば、我が国には美しい自然や歴史的建造物など、多くの観光資源がよく手入れされた形で残されており、清潔で安全な移動宿泊手段にも事欠かず、食の面でも和洋中華の多彩なメニューが安全で健康的な形で提供される。これは世界に誇り得る日本文化であるということができるでしょう。

でも一方で、日本観光が高い評価を受ける理由の一つが、その安さであると致しますと、これは喜んでばかりもおられない。我が国の物価の安さは、経済的な停滞と表裏の関係にあるわけですから、こちらはそのままにしておくわけにもいかないのですね。

とはいえ、観光面での魅力が我が国の経済を停滞させている原因ではなく、むしろ海外観光客は経済的停滞から我が国を救い出す一つの道でもあります。たとえば、ギリシャ、ローマは観光資源の経済的価値が無視できない。観光立国という道だってないわけではないのですね。

我が国の場合は、先端技術を応用した工業や情報サービスでの立国を目指すのがベストの道なのでしょうが、観光面での支えがあること自体は悪い話ではない。むしろ、先端産業に従事できるのが日本国民の中でも特定のスキルをもった人間に限られてしまう一方で、観光産業には先端産業向きではない人材も貢献できるという補完的性格もある。

そういう意味からは、我が国が観光面での魅力にあふれる国であるという評価は、大いに歓迎すべきことであると思います。ただし、これに安住してはならず、あくまで先端産業、情報サービスなどの効率的にマスを取りに行ける分野を狙うことは忘れないようにしなければいけない、ということでしょう。

1 thought on “観光競争力と劣等感

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