藤原かずえ氏の6/8付けアゴラ記事「論理に対する嫌悪」へのコメントです。(ブログに追記あり)
経営学のカリキュラムの中に、プレゼンテーションというのがあるのですが、その理由は、どんな素晴らしい処方箋も、経営陣に理解してもらえなくては役に立たないからなのですね。
実はプレゼン能力は、知的職業人全般に求められることで、学者も発表テクニックが必要で、政治家ならば弁論術が要求されるところだし、企業の広報であればプレゼン能力だけで食っているようなもの。
論理は、プレゼンの内容が正しいものであるための大前提だけど、論理が正しければそれでよいわけではない。これを相手に納得させることも負けず劣らず必要なのですね。
それには、プレゼンのテクニックも必要だし、相手に信頼される必要もある。理解しない奴があほ、なんて言っているのは、酒屋でくだまく使えないサラリーマンみたいなものだと、心得なくちゃいけません。
以下はブログ限定です。
今日では工業炉の設計は、計算機を用いた熱解析がごく一般に行われていますが、昔は勘と経験に頼って行われておりました。
炉の設計で難しい点は、高温に耐える煉瓦は保温力が弱く、断熱性に優れる煉瓦は耐熱性が悪い。だから、高温部分と低温部分でレンガを使い分けなくてはいけないのですね。で、燃費節減のために保温を強化せよと言われても、ただ外部の断熱を強化しただけでは、中心に近い部分の温度が上がってしまいますから、耐熱性の高い煉瓦をより広範囲に使う必要がある。この現象自体は、比較的容易に計算することができます。
藤原氏のエントリー流に言えば、熱伝導など、単なる物理現象だから計算すれば簡単にわかるだろうということになるのでしょうし、これは部分的には正しいのですが、実際の工業炉では、熱で応力を受けて物性が変化したりクラックが入ったり、化学物質がレンガ層に浸透してきたりして、必ずしも理屈通りの熱伝導が生じるわけではないのですね。
経験に基づく設計というものは、こういった単純な原理以外の現実的な外乱要素も反映されている。経験なのだから、そうなるのは当然なのですね。一方で、新しい高性能レンガをもってこられても、すぐには使えないという問題もある。これが論理設計なら、物性値の異なる材料も自由に使うことができるのですね。
今日の計算機シミュレーションが工業用炉に応用できるようになるまでには、関係者の大変な努力があったのですね。まずは、計算と現実が合うように、実際の炉に熱電対を埋め込んで、既存の炉の構造で計算を繰り返す。これが同じようになったところから、一部に新しい煉瓦を使い、温度的に問題のないようにレンガ積みを組みなおす。そうして、燃費の改善という実績を示しながら、より大胆な改善を行っていくという流れがあったわけですね。
論理があるから使えばよいというのは、簡単な話だけど、現実は必ずしも、論理通りには動かない。論理が無視する様々な要因も現実に影響を与える。そして、こういう知識は経験者がもっており、しかも、計算機で設計されるようになると、これら経験に基づいて設計してきた人たちはお払い箱になる。少なくとも当人たちはこれを恐れるわけですね。プライドが傷つく、という面もありますし。だから抵抗はそれなりに強いのですね。ノウハウを教えてくれない、とか。
結局のところ、計算機設計するサイドも、経験で設計する人たちに対するリスペクトを忘れず、コミュニケーションを強化していくしかありません。成果も彼らと共有する形に可能な限り持っていく。そういう形でやっていかなくては、成功はおぼつかない。「理屈を振り回す」などという受け止め方をされたら、それはプレゼンテーションの失敗を意味いたします。
上であげられたいくつかの例でも、こうした要素が絡んでいるものがいくつかありそうです。これに対して、論理のわからん奴はどうしようもない、などといったところで、現実が前に進むわけではない。広い意味でのプレゼンテーション能力、人を動かす能力というものが、世の中を変えるためには必要なのですね。
そして、それが伴わないものを、「机上の空論」というのではないかな?
まあそうなんだけど。。。