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コロナの変遷と正しい対応

高梨雄介氏の8/8付けアゴラ記事「新型コロナ狂騒:総括は『誰かを罰して終わり』にすべきでない」へのコメントです。(ブログに追記あり)


いくつかのポイントを整理しておかなくてはいけません。まず、新型コロナ流行の第一波(2020年4月ごろ)は、ヨーロッパ各国で爆発的な感染拡大が見られ、致死率も4%程度と高く、我が国でもパンデミックのリスクが強く認識されていたのですね。

パンデミックの恐ろしい点は、際限なく感染拡大が進み、医療機関をはじめとする社会的な機能がマヒする状況であり、こうなりますと、多数の犠牲を出すこととなります。こんな状況は、政府としても絶対に避けなければいけない。

その後、第四波までは、多少下がったもののそれでも1%以上の致死率があり、同じ対応を続けることも合理的であったのですが、2021年8月に発生した第五波の致死率は0.2%程度と大きく下げた。この時点で、コロナに対する見方を変えなくてはいけなかったのですね。

ところが、運悪くオリンピックの時期と重なり、政府批判に熱心なメディア、評論家は、感染者の多さをもって政府の責任を追及した。こういう状況下では、コロナに対する対応を緩めることはしにくいのですね。でも、マスコミ、野党が悪いと言ってみても始まらない。なにぶんそれが彼らの商売であり、本能といってもよいような性質なのですから。

幸い、今に至って多くの人たちが状況の変化に気付いているようで、遅ればせながらも対応を変えていけばよい。過ちを正すに、遅すぎるということはありません。岸田政権にできるかどうか。それが問題ではあるのですが。


返信がついております。

岩崎 徹也
リスク評価に致死率はあまり役に立ちません。PCR検査数が少ないと陽性者も少ないので、致死率は高くなります。欧米と比べ日本の単位人口当たり死者数は非常に低かったのです。


瀬尾 雄三
岩崎 徹也さん
> リスク評価に致死率はあまり役に立ちません。

コロナを風邪と同じに扱うべきか、結核並に扱うべきかとなりますと、重篤化比率や致死率が判断の決め手となります。風邪と同じなら、そのリスクは、示現してもテイク可能と判断されるわけですね。

> 欧米と比べ日本の単位人口当たり死者数は非常に低かったのです。

日本が何らかの幸運に救われたということはあったのでしょう。ファクターXとかね。でもそれが何かわからない以上、欧米と同じことが日本でも起こると想定しなくちゃいけません。つまり、第一波の段階で厳重な警戒態勢を敷くのは間違ってはおりません。致死率にしても、第二波以降のPCR検査が増加した段階でも1%以上はありましたから。

問題は、第五波以降の、致死率が一桁下がってからの対応です。リスクマネージメントの観点からは、テイクしちゃいけないリスクが、テイクしてよいリスクになったということですね。変異株がありますので何らかのモニター体制は必要ですが、ここで判断を変えなかった点は、お粗末でした。


8/9追記:第五波発生直後のこのブログの私のエントリーがこちら第五波がピークアウトしつつあるときのコロナの状況がこちら(下図)、その翌日の私のエントリーがこちら、です。

この時点で、致死率の大幅低下がわかっていたにもかかわらず、政府批判を最優先とするマスコミ、野党、評論家諸氏は、大幅に上昇した感染者数のみをとらえて声高に政府を攻撃していた。しかし、疫病の本当の恐ろしさは、その結果として多数の死者が出ることにあったのですね。

同程度の致死率(0.2%程度)は第六波でも繰り返され、現在ピークに到達しつつある第七波の致死率はさらに低い0.1%以下となっております(下図)。さすがにここまで来れば、マスコミやこれに寄稿する人たちも致死率の低さに目を向け始めております。

えらく鈍い人たちだとは思うけど、致し方ありません。