アゴラ編集部の8/23付けアゴラ記事「『レモンちゃん』の落合恵子さん、安倍元首相に『疑惑晴らしてから死ねよ!』」へのコメントです。
この記事を読んで「老醜」などという言葉が目に浮かびましたが、少々悲しいものがありますね。同じ文脈では、香山リカ氏の「なぜ日本人は劣化したか」を読んだ時にも感じたのですが、結局のところ、劣化したのは我が国の左翼運動。といいますか、左翼運動そのものはさして変化していないのですが、時代が変わってしまった、時代に取り残されてしまったのですね。
2018年の正月に西部邁氏が入水自殺されました。この方、もとは左翼で転向した方なのですが、なかなかそれが苦しかったのではないかと思います。自説が間違っていたことがわかったら、これを修正することなど、大いにやったらよいと思うのですが、実はそれがなかなか難しいという事情もあるのですね。
オウム真理教の事件の際にカルトから出ることが難しい理由の一つに、他人を誘ってしまうと、責任上抜けにくい、という問題が指摘されておりました。社会的に影響力のある人は、似たような立場に置かれてしまう。これはある意味、悲劇ではあるのですね。
まあ、そういう背景なり、人間の悲劇性なりを理解したうえで、憐憫の情をもって対処する。それがこの手の問題に対する正しい対応の仕方だと思います。
なお、国葬反対のデモは、大いにやったらよろしい。ただし国葬の邪魔にならない程度にね。こういうことがおこなわれているという事実は、我が国がいかに自由な国であるかを世界にアピールする良い機会だと思います。少なくとも、ロシアや中国や北朝鮮は、逆立ちしたって、こんなことはできない。ちょっと誇ってもよいことだと思いますよ。
8/24追記
上で「時代が変わってしまった」と述べましたが、これに関しては、本ブログの古い記事「森政稔著「変貌する民主主義」を読む(その1)、(その2)」をご参照ください。
かつて民衆の敵と考えられていた政府はまともな姿に変質してしまった。普通ならこれを喜べばよいのですが、職業的な左翼にとりましてはこれは少々困る。その屈曲した感覚が良く表れた書物だと思います。
つぼつのぼかいが