長谷川良氏の8/2付けアゴラ記事「『憎悪』が新しいターゲットを見つけた」へのコメントです。
反ワクチン運動や地球温暖化阻止のある種過激な運動が、果たして『憎悪』によるものなのか、『正義感』によるものなのかは、なかなか判断がつきにくい。
と、言うよりも、おそらく20世紀に入ってからの大量殺人は、理想を追求する人々の『善意』によってなされた可能性が高いのですね。赤軍派のテロにしたところで、やっている本人は、誰かを憎んでやっているというよりは、己の理想に燃えるが故にやってしまったのではないかな?
「地獄への道は、善意によって舗装されている」などとも言います。げに恐ろしきは善意、正義、理想といった、一見正しそうな言葉で形容される行為なのですね。思想、宗教の恐ろしい点は、これらを誘発しやすいところにあります。
一つチェックしなくちゃいけない点は、「目的のためには手段を選ばず」という考え方です。目的は手段を正当化しない。ここだけは、間違っちゃいけません。
もっとも、「手段のためには目的を選ばず」的な考え方も、厳に慎まなくてはいけない。そう、「マイナンバーカードを普及させるには、、、そうだ!保険証にすればよい」なんて考え方がそれですよ。そこのあなた、あなたです。
ワクチンはがんばっている。