岡本裕明氏の10/16付けアゴラ記事「プロ人材の善し悪し:日本の過去30年は経営そのものが問題」へのコメントです。
その経営者は概ねMBAを取り、エリート社員として昇進街道を驀進します。私もそういう方は存じ上げていますが、正直詰まらない人が多いのも事実です。何故か、といえば全ての事象を論理と数字で片づけようとするからです。でも世の中、そんなわけないのです。
MBAは、日本語に訳すと経営学修士で、一つの学問分野を修めましたというわけですが、学問というものはそもそも、現象を言語化し論理化し数値化することが中心課題ですから、学んだ学識を生かそうと思えば論理と数字に頼ることになります。
これが1970年代の米国式経営学の中心課題だったのですが、それだけでは競争に勝てないということが米国の経営学者にもわかってきた。論理以前の知恵というものが、経営の世界でも重要だし、研究開発の世界でも重要だということ。
学問などというものは、職人の技をNCマシンにプログラミングするような話で、長い修業がいるような困難な仕事を誰にでもできるようにする、暗黙知を形式知に変換するところに意味がある。だから、経営学を修めただけでは、じつは話にならないのですね。
では何が必用であったか。言語化され、論理化しての知的作用は意識内部の理性の働きだけど、人の知的能力で意識されているのはごくわずかで、ほとんどが無意識の内になされている。この部分の能力を磨くためには、ものとの対話を通じて腕を磨くか、優れた人のやり方を見て学ぶしかない。まあ、ケーススタディというやり方はあるのですが、いずれにしても、論理以外の部分でも能力を磨かなければいけない、ということでしょう。
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