池田信夫氏の3/4付けアゴラ記事「ユートピアニズムからリアリズムへ、そして世界大戦へ」へのコメント(ブログ限定)です。なお、本文中の敬称は省略いたします。
イラン戦争は4年前のウクライナ戦争に似ている。それは明白な国際法違反であり、主権侵害だが、今回それを指弾する声はほとんど聞こえない。その理由はウクライナ戦争が領土的野心によるものだったが、今回はそうではないという違いだけではない。もはや国際法による秩序が機能しなくなったからだ。
今回のイラン戦争に類似した武力行使の例を挙げるなら、1999年のNATOによるユーゴ空爆でしょう。この時は、ミロシェビッチによる大量虐殺が問題とされたのですが、国連決議を得ての対処は中ロの拒否権によって非現実的と予想された。そこで、NATO軍が国連決議を得ることなく空爆に踏み切ったわけですね。(本ブログの関係記事はこちら、Wkipedia はこちら。)
このNATO軍の行為に対して、国際法違反であるとの声もあるのですが、民族浄化のような大量虐殺に対しては、やむを得ないとする見方が多いように私には思われます。日本の法律にも「緊急避難」といった条項があり、大きな惨事を避けるためには、あえて法を犯すことも許されるのですね。
今回のイラン指導部に対する空爆は、先のデモ隊への発砲によって大量の犠牲者を出しており、1999年のユーゴに比べれば小規模ではあるものの、緊急避難的措置を正当化する理由にはなると思われます。
米国のもう一つの対外強硬作戦でありますベネズエラのマドゥロ政権転覆に関しては、マドゥロによる大量虐殺こそなかったものの、反体制派に対する拷問などの非人道的行為が日常的に行われたこと、麻薬取引への関与、政治的経済的失政により大量の難民を出していたことなどが問題とされました。こちらは、マドゥロ夫妻を拉致して米国の司直にゆだねるという、超法規的措置ではありますが、人的犠牲は最小限にとどめており、大きな非難を浴びる行為でもないように思われます。
一方、ロシアによるウクライナ侵攻は、ウクライナ側に目立った非人道的行為があったわけではなく、ロシアに対する武力攻撃や経済的被害を与えるといった行為もなかったにもかかわらず、軍事侵攻に及んでいる。NATO加盟を防ぐという大義名分はあったとしても、NATOに加盟するか否かはウクライナ側で決めればよい問題であり、ロシアがこれに対して口をはさむ理由はない。結局のところ、ロシアにとってウクライナ侵攻の目的は、ウクライナを併合するという、領土的野心以外に何もなかったのですね。これは、国際的な非難を浴びても致し方ありません。
国際法は、条約のほかに、国際的な慣習の積み重ねによってなっているのですが、その詳細は理想主義的な論理に支えられた部分が多分にあり、ある種のへ理屈の応酬ともなり得る性質があります。そしてこの手の理想主義に対する懐疑の目が近年高まっており、力への回帰という傾向が生じております。これは、プーチン、習近平、金正恩の路線であり、トランプが採用している路線でもあります。
なぜそうなったか、と言えば理屈じゃ何も前に進まない、という現実があるからなのですね。そして、地球温暖化の問題など、理屈が必ずしも正しくはない、理想主義が人類を滅ぼすのではないかといった、懐疑の目も向けられている。ならば、現実路線を歩むべきではないか、とする考えにシフトするのもわからないではない。これが、理性と理想を旨とするヨーロッパの人たちには理解に苦しむ状況となっているのではないかと思います。
そうなりますと、我が国の政府がとるべき道は、一方で理想主義とのすり合わせを保ちつつ、一方では現実的な力を持つこと。お花畑の野党の主張に対しては、厳しい現実を突きつけて、それでは生きていけないことをきちんと示していかなくてはいけないし、実力をきちんと保持するように努めなくてはいけません。
これは、軍事的にもそうだし、経済的にもそうなのですね。そしてこれを支えるものは、科学技術であり、工業力であり、それを可能とする人の力なのですね。幸い我が国には、高度な教育環境が存在し、関連する人材も豊富です。あとはこれを効率的に運用し、育った人材がきちんと力を発揮できるようにする。そうして、進んだ技術で、産業経済と軍事力の双方で、世界をリードできるようにすること。まずここから始めなくてはいけないのではないかな?