池田信夫氏の3/12付けアゴラ記事「原油価格が上がっているとき『積極財政』をしてはいけない」へのコメントです。
71年末のスミソニアン合意では1ドル=308円で日米が合意したが、それでも円の先高感が強かった。1972年8月の田中・ニクソン会談では、対米黒字の削減で合意した。田中角栄首相は大型の補正予算を組み、日銀は公定歩合を4%まで下げた。
これは円高を防ぐために通貨を供給して円を減価させる調整インフレで、マネーサプライは激増した。石油ショック(73年10月)は、その過剰流動性のピークに偶然ぶつかったのだ。
為替レートは、各国の経済状態を反映して貿易をバランスする形に、市場が決めるもので、通貨当局によるコントロールは、基本的に無理があります。ただ、円高不況対策として利下げを行うことは間違った対応ではない。利下げの結果、円が減価することはあるかもしれないけれど、本来の目的は、利下げによる国内景気のテコ入れでした。
我が国の70年代初頭に起こったことは、米国経済の悪化により、それまでは固定であったドルの交換レートを保てなくなり、兌換の停止と交換レートの変更が生じたことでした。1972年には、変動相場制に移行しております。当時の日本は、1970年ごろまで続いた高度成長期が終焉し、景気後退期に差し掛かっており、これに円高が加わって深刻な不況期を迎えております。これに対して利下げで対応することは、景気対策の常道でもあったのですね。
円高も不況も、本来は物価を下げる効果がありますが、これに対して金利を下げて景気対策をすれば、物価を上げる方向に作用する。ここに、OPECによる原油価格引き上げが合わさった結果、大幅なインフレになった。これが1972年の出来事だったのでしょう。
この大幅なインフレは、確かに深刻な社会問題ではありました。でも、この後給与も急上昇し、生活苦は相当に緩和された。生活が楽か苦しいかは、収入と支出のバランスで決まるのですね。
常用労働者1人平均月間現金給与額1947年~2025年 年平均
70年代には、我が国のGDP成長率は60年代に比べて鈍化しましたが、それでも成長は続き、日本の経済力は世界をリードするレベルにまで到達いたしました。これを象徴するのが1979年に出版されました「ジャパン・アズ・ナンバーワン」であり、優れた自動車や電機製品は世界市場を席捲、集中豪雨的輸出が世界の非難を浴びた結果、1985年のプラザ合意で大幅な円の切り上げを迫られることになります。

まあ、1970年代の後半の日本は、確かにやりすぎであり、調子に乗り過ぎたきらいはあるのですが、では1972年の利下げが間違っていたかと言えばそうでもない。1970年代を通して持続した経済成長は、1972年の利下げが功を奏した可能性も多分にあり、我が国が世界をリードする立場に立つ、一つの要因であったというべきでしょう。これはこれで、大成功した経済政策というしかありません。
翻って現在を考えますと、ここでも、為替水準をコントロールしようなどということが論外であることは言うまでもありませんが、「物価上昇率」をコントロールすることも、目的と手段を取り違えております。経済政策で目的とすべきは、経済の好不調を制御すること、日本の産業の国際競争力を維持し、一定の経済成長率を保ち、国民の福祉向上を実現することなのですね。
そうなりますと、原油価格が上昇し、ガソリンやガスや電気代が上昇して生活が苦しくなる。そういう状況下で補助金を支出してこの痛みを和らげるのは、何ら間違った政策ではないのですね。そうやって、国民生活を成り立たせ、日本企業が研究開発に予算を割き、成長に必要な投資を行い得る状況を保つ、これこそが我が国の経済政策の目標とならなくてはいけません。
そういう意味では、現在の高市政権の方向性は間違ってはいない。むしろ、経済指標のみを見る経済学者や評論家が、より広い視野を持つべきであるように、私には思われます。
そうそう、財務省亡国論とかザイム真理教批判などというのもありました。これも、根は同じ問題を批判しているのではないでしょうか。まあ、財務省を解体しても、ろくなことになるようには思えないのですが。


