先週のこのブログで老子の紹介をいたしまして、最後に、以下の部分にクレームをつけました。
1. 東洋と西洋に共通する価値観
民に利器多くして、国家滋々(ますます)昏(みだ)れ、民に知慧(ちえ)多くして、邪事滋々(ますます)起こり、法令滋々(ますます)彰(あきら)かにして、盗賊多く有り。
まず、老子の時代は専制君主が支配する時代ですから、民に利器なぞ与えない方が良い、という考えも妥当なのでしょうが、現在の民には、利器も知恵も、大いに必要ではないか、というわけですね。
で、このあたりのことをつらつら考えましたあげく、現在は民にも徳が求められる時代である、という結論に思い至ったわけです。
なにぶん、国民主権の民主主義の時代、ですから、かつての君主に要求された徳が、現在では、選挙権を持つすべての国民にも要求されること、当然のことである、ともいえるのですね。
これは少々厳しい話なのですが、まずは、庶民を離れた、雲の上の方々からみていくことにいたしましょう。
力を持つ者にはそれなりの徳が要求される、という考え方は、東洋独特のものでもなく、表題に掲げました言葉、「ノブレス・オブリージュ」というフランス語にしてから、高貴なる者の義務、でして、このような考えは洋の東西を問わない、人類に普遍的な考え方であると言えるのでしょう。
なるほど、そうなりますと、確かにホリエモンや村上ファンドにみられる拝金主義的傾向に批判的な世論は、ノブレス・オブリージュを要求してのもの、とも解釈できるわけです。
一方、規制を緩和し競争を盛んにすることで経済の活性化を図る今日の経済政策は、徳なんぞに構っていられない、損得なら大事なんだけどね、という方向に世の中を駆り立ててしまいそうです。
2. 企業のトップに求められるもの
企業経営を見ても、日本航空がリストラに取り組むのは遅すぎたとの感が拭えないのですが、最近発表された日立のリストラ方針も、利益がすべて、という評価の仕方。これは少々おかしいように思います。
まあ、日立グループがスポンサーをつとめるテレビ番組を見ておりますと、終わりのあたりに延々と流れるグループ会社のリストを見て、なんと立派なグループなんだろう、と考える人はおそらく少数派で、天下り先の多い、いかにも非効率な企業だなあと考える人が大多数のはず。これを半分にする、などということを日立は先日発表しておりますが、ゼロベースが正しい姿です。
こうした天下り先企業といいますのは、道路公団のファミリー企業と同様、親会社が高値で発注することで利益を確保させる仕組みができておりまして、個々の企業を取り出してみれば、立派な決算になります。なるほど、天下ってきた役員に高額の役員報酬を支払うことも妥当である、というわけなのですね。でも、実はこれらの企業が、寄生虫のように本体の利益を吸い取り、本体を弱体化させる原因となるわけですね。
一方で、将来の企業利益の中核となるべき分野は、当初は研究開発投資がかさんで、損益はマイナス側に傾きがちでして、これを赤字だからといって切ってしまったのでは、企業の未来はありません。
個々の事業分野の損益を見るだけなら馬鹿でもできる一方で、企業の先行きを見越した戦略的発想は無能な経営者には無理、というもの。リストラに向けた取り組みを発表することで、トップの力量が白日の下にさらされてしまいます。
当然のことながら、企業経営に求められるのは、戦略的判断ができる経営陣であって、個々の事業分野に対し、企業戦略に応じたそれぞれの目標を設定することが、経営陣には求められる、というわけですね。
というわけで、企業トップに求められるノブレス・オブリージュは、戦略的判断ができないのであれば身を引くこと、あるいは、出来る人にやらせる、ということであるはずで、馬鹿でもできるお粗末な意思決定で企業を衰退の道に導くことでは決してないはずです。徳なりノブレス・オブリージュのポイントは、時には自らの利害を度外視しなければならないと、いうことでして、保身、などという自らの利益を第一に考える経営者は、それだけで失格、というわけです。
3. 成果主義の問題点
損益重視(損益しかみないやりかた)は、最近大流行の成果主義にも通じる話です。形式だけを取り入れた成果主義がもたらす弊害も、いくつか話題になっておりました。
成果主義は、結局のところ、成果を上げると得になるよ、という、にんじんをぶら下げて馬を走らせるようなやり方でして、確かに、サボっている人と頑張っている人の処遇に差を付ける、という点では妥当なやり方なのですが、個人的利益を目的として業務を行う、という風潮を社内に蔓延させるリスクもはらんでおります。
目標に掲げた成果がでれば良し、換言いたしますとノルマ達成が至上命令、となりますと、無理な営業、下請けイジメ、欠陥隠し、違法行為に走りがちで、その結果企業のイメージに傷をつけることになります。
取り締り強化の為に打たれた対策の数々は、取り締り強化の前には、いかに多くの企業が違法行為を日常的に行ってきたか、ということを如実に物語っているのですね。駐禁取り締り強化で経費がかさむ、とか、飲酒運転に対する社会的な関心の高まりでワインの試飲を取りやめました、とか、一見微笑ましいような話題も、裏を返せば、企業は違法行為を日常的に行っていたし、それを企業も認識していた、ということを白状しているようなもの。
ここで不思議なことは、これまで、直接担当している社員なり、管理職からの疑問の声は上がらなかったものなのか、という点でして、結局のところ、個々の社員も自分大事、個人的利益の追求に汲々としていた、というあたりが現実なのでしょう。
そういうわけで、今の時代、ノブレス・オブリージュは、企業トップに限らず、かなり下の階層の社員にも要求されるのではなかろうか、と思う次第なのですね。
4. 米国の場合
最近行われた米国の中間選挙で民主党が大勝したのですが、その裏には、もちろんイラク侵攻という大失策をやらかしたブッシュの不人気ぶりもあるのでしょうが、環境問題などの社会的責任に背を向ける共和党政権への批判がある、とみるべきでしょう。
カリフォルニア州のシュワルツネッガー知事は、共和党ながら何とか再選を果たしたのですが、カリフォルニア州独自に温暖化防止の政策を導入しているのですね。彼がそうしているのは、そうしないと選挙に負けるから、です。
結局のところ、徳とは無縁の米政権中枢部に対して、ノブレス・オブリージュを意識しているのは選挙民。さすがは民主主義の国、米国である、と認識を新たにする次第です。
一方で、社蓄とまで呼ばれる日本の企業戦士たちに、ノブレス・オブリージュを期待するのは、これはちと無理、ということでしょうかねえ、、、まあ、そんなことはない、と信じたいのですがね。