都市化によるコミュニティの崩壊が、人々のアイデンティティーの危機を招き、自殺や犯罪、精神の不安定といった問題を起こすと考えられています。これに対する一つの解として、ワイヤード・コミュニティが期待されています。ワイヤード・コミュニティとは、インターネット等の計算機コミュニケーションを介して形成されるコミュニティのことですね。
マフェゾリは、フランスのパソコン通信「ミニテル」にハマる人々を紹介し、そこに部族的小集団が形成されていると指摘しています。公文等の編集した「第二世代インターネットの情報戦略」(NTT 出版 1997)には、ワイヤード・ソサエティと題して、種々のコミュニティ形成について述べていますけど、なんか、肝心なものを落としているようにみえます。
たしかにコミュニティ・メモリは「最初」という学術的価値があるのですが、社会へのインパクトは少なく、私はむしろ、ARPANET のメイリングリストと USENET に始まるネットニュースを落とすべきではなかろうと考えます。また、草の根掲示板(特に米国の)や大手商用 BBS(ニフティやアスキーネット、AOL 等)にも触れるべきでしょう。今なら、Yahoo の掲示板や 2 ちゃんねる、ウエブページに設けられた多種多様の掲示板もありますね。
このような、コミュニケーションの場を観察すると、色々と面白い特徴がわかります。まず、参加者は、常連と新参者がおり、その他に多数の ROM(読むだけの人達)がいると期待されてます。 常連の人達の性格は、その場のほとんどの人が理解しています。つまり、パーソナリティが確立してるわけです。その場に発信されるメッセージは、宣伝や質問のように、自分のために発信されるメッセージもありますが、そういったメッセージは(特にそれが多い場合)嫌われる傾向があり、参加者の多くにとって有益な情報を与えるメッセージの方が多く含まれるのが一般的です。そうだからこそ、人々はその場に参加するし、有益な情報を発信する常連の個性を認めるわけですね。
大抵のコミュニケーションの場には、その場特有の価値観、文化があります。中には、ひどいのもありますけど。参加者は、最初は ROM を続けて、その文化を把握し、それに則して情報を発信しているのでしょうし、その場の文化から外れたメッセージには文句が付き、そういったプロセスで、場の文化も継承されるんですね。
そうして見ると、たかがウエブの掲示板とて、馬鹿にしたものではなく、固有の文化を持つ立派な社会であり、コミュニティとして機能し得ます。
この社会、文化人類学的研究が、もっとなされても良いのですけどね。なにしろ、この社会にだって、固有の問題があるはずだし、(実際、問題だらけ、ですよね)計算機を介したコミュニケーションは、今後ますます社会に広がると考えられているわけですから。
上の話の参考資料として、ホームページに「計算機ネットワークの歴史と現状」と題する文書を載せました。これ、最初は論文の一部にしようと考えていたのですが、なぜか、削除する羽目になりました。社会に付いて考えるときは、その社会の歴史もおさえなくちゃあと、ずいぶんと本を読んで、調べたんですけどね。