本日読みます本は、エレナ・ジョリー著「カラシニコフ自伝」です。
AKという謎
何でこんな本を読む気になったかといいますと、米澤穂信著「クドリャフカの順番」がそもそもの発端です。これはミステリーですので、内容のご紹介はあまりいたしませんが、カラシニコフ型の水鉄砲が盗まれるという事件が発生し、その名前が「AK(エーケー)」であることが事件の一つのポイントとなります。
さて、このAKとは何の略だろう、まあ、Kはカラシニコフか、そうなりますと、Aはカラシニコフの名前なのであろうか、などということに頭を悩ましておりましたところに、この書名を聞きつけまして、長年の疑問を解消すべく同書を読むこととした次第です。
まあ、よく考えたらネットで調べれば一発でわかったはず、などということは本を読んだあとで、はたと気づいた次第。でもまあ、読んでみればそれなりに面白い本でして、読んで損をした気にはならない一冊ではありました。と、いうわけで、同書の面白い点につきまして、本日はこのブログでご紹介しよう、というわけ。
最初に、疑問点を書いてしまいますと、カラシニコフの正式名称は同書133ページによりますと次のようになります。
その後ほどなくして、私は家族と工場が待つイジェフスクに戻った。ここでの問題は、あらゆる分野の専門家をそろえた優秀なチームを編成し、訓練することだった。新しい目標ははっきりしている。「AK47カラシニコフ 7.62ミリ突撃銃」という正式名称を持つ、私が設計した突撃銃を量産することである。「AK」とは「Avtomat Kalachnikova(アフタマート・カラーシュニカヴァ)」の頭文字をとったもので、ロシア語で「カラシニコフの自動突撃銃」という意味だ。「47」はもちろん、軍で採用されたモデルの設計年を示している。
原文では以下の通りです。
Shortly afterwards, I set out again for Izhevsk, where my family and my factory were waiting for me. Uppermost in my mind was setting up and training a good team with all sorts of specialists in it. The new objective was clear: mass production of my assault rifle, whose official name was '7.62 mm Kalashnikov assault rifle AK-47', the famous weapon that history remembers simply as the 'AK-47'. 'AK' are the initials of 'Avtomat Kalashnikova', which in Russian means 'Kakashnikov automatic rifle'; '47' of course designates the year I designed the model that was adopted by the army.
すごいですね。疑問はずばり解消です。ま、Kがかぶっているのはどうしてだろう、などというつまらない話は、ここではしないことといたしましょう。
ちなみに、「クドリャフカの順番」では、メインアームをAK型の水鉄砲、サイドアームをグロック型の水鉄砲とする園芸部員を「節操がない」と評するのですが、AK47はソヴィエトが開発しワルシャワ条約機構に属するすべての国に無償でライセンスされ各国で製造されたものであるのに対し、グロック17はオーストリアのグロック社が開発し、米国FBIをはじめとする西側諸国で広く使用された銃であったのですね。
AK47は、特に劣悪な環境下でも安定して作動することから、ゲリラやテロリストに好まれたわけでして、これとグロック17をメインとサイドで使うのは、銃器に詳しい人から見れば「節操がない」ということになるのですね。な~るほど。
なお、Wikipediaによりますと、AK47は構造が単純で、村の鍛冶屋のようなところでも製造可能なのだそうですが、オウム真理教が製作を試みて失敗しているとのこと。オウムの人たちもパキスタンの村の鍛冶屋に弟子入りした方が良かった、ということでしょうか。
同書の内容
さて、同書の内容にまいりましょう。
カラシニコフは、さほど裕福ではない農家に生まれたのですが、その地域の平均からみればかなり上だったのでしょう。革命後は富農とみなされ、シベリア送りになりながら、2度にわたり脱走したりしております。カラシニコフ氏、前回ご紹介した倫理の区分では、「平均倫理」ではなく「英雄倫理」に従って行動する人だったのでしょう。
やがてカラシニコフは軍に入り、戦車隊に入団いたします。そこで大怪我をして、ドイツ軍に包囲されながらも、命からがら味方に合流、入院いたします。
この病院でカラシニコフは、当時のドイツを圧倒的に有利としておりました自動小銃(突撃銃)に対抗できる、さらに優れた自動小銃を開発すべくアイデアを練ります。病院には図書館もあり、入院患者であります負傷兵には銃器に詳しい者もいて、彼らの話を聞くことができます。カラシニコフにとってはこの病院こそが教育機関であったのですね。
やがて退院はしたものの療養休暇となりましたカラシニコフは昔馴染みの鉄道機関区を訪ね、ここの協力を得て自動小銃の開発に着手いたします。出来上がった銃は、完全なものではなかったのですが、カラシニコフの才能を見抜いた軍は彼に銃の開発をさせるように手配し、何度かのコンテストに参加した後、ついには正式採用に至ります。この直後のシーンが、最初に引用した個所です。
以後、彼の銃は広く使用されることになるのですが、フルシチョフの時代になりますと、銃などという旧式の武器よりも核ミサイルに重点がおかれ、銃の研究は阻害されます。さらにゴルバチョフは、ペレストロイカをしたことはともかくとして、クーデターを防ぐことができず失脚いたします。さらにその後に登場したエリツィンが最悪の指導者で、ソ連の経済は崩壊、一部の者が豊かになる一方で貧困層が増大いたします。
カラシニコフは、その功績の故に、一貫して重用されるのですが、祖国の凋落ぶりにはさすがに胸を傷め、スターリンの時代を懐かしんでおります。若き日にシベリア送りという悲惨な目にあっているのですが、その責任は下っ端の役人にあり、スターリンは偉大であった、と考えるのですね。私に言わせれば、下っ端役人の蛮行も、結局は上の者の責任であるのですが、、、
ただ、ペレストロイカの結果として、自由に海外にいけるようになったことはカラシニコフにも喜びであり、旅行を楽しんだりしております。
カラシニコフのこの矛盾をはらむ心情は、なんとなく理解できるものです。
第一に、エリツィン以後のロシアの政治指導者は、確かにろくでもない人間であり、ロシア経済の運営も大いに問題をはらんでおりまして、これに批判的立場をとることは理解できます。
カラシニコフはゴルバチョフにも批判的なのですが、彼が政権を担当したときのソヴィエトはすでに崩壊寸前であり、誰が首相を務めても似たような結果となったのではなかろうか、と私には思われます。ゴルバチョフは、結果としてソヴィエトの崩壊を招きはしたものの、ペレストロイカを断行したことは高く評価できるのではないか、と私は思うのですが、敗軍の将に国民の目は厳しい、ということかもしれませんね。
第二には、若き日々をスターリンの時代に過ごしたが故に、スターリンを絶対視する教育を受け、この効果が85歳の老人となるまで持続している、ということもあるのでしょう。こちらは、教育の恐ろしさという問題でして、わが国の教育を取り巻く状況につきましても、問題がないとはいえないところではあります。
カラシニコフ氏が成功したわけ
さて、このストーリーの最大のポイントは、何故にカラシニコフはAK47の開発に成功できたのか、という点ではないかと思います。
その最大の理由は、カラシニコフその人にあったのであり、それも、彼が銃器の開発にかけて天才であったというわけでは決してなく、自動小銃を開発しようという高い意欲を持っていたこと、しかもそれができると考え、実行に移したことにあった、ということでしょう。
確かに、戦場で苦労したのは優秀な武器がなかったが故なのですが、一介の兵卒が自動小銃を開発してやれ、などということは普通は考えないものです。
つまり、カラシニコフも「ないんだったら自分で作ればいいのよ!」精神の持ち主であり、英雄倫理は創意工夫の世界でも要求される、ということでしょう。
もう一つ、同書で目からうろこの部分は、ソヴィエトなどというものはがちがちの官僚支配の世界と思っていたのですが、兵器の開発に関してはそうでもない、ということです。
なにぶんカラシニコフは、療養休暇中の普通の軍曹であり、前例を重んじる官僚から見ればそんな人物が発明したと称する銃器など無視されてもおかしくはないところ。そもそも鉄道機関区などで、業務目的外の自動小銃の開発など、よくできたものだと思います。
事実、彼が試作品を持ち込んだときは、最初は相手にされず、カラシニコフは独房に閉じ込められてしまうのですね。しかし、書類が上のほうに届きますと、彼は独房から出され、銃の開発を認められることになります。
よく考えてみれば、がちがちの官僚主義がソヴィエトのすべてを覆っていたとすれば、ソヴィエトはとうの昔に崩壊していたはずで、とにもかくにも冷戦を継続できたということは、それなりに現実的な対応ができたということ。優れた兵器を見抜く力が、少なくとも上層部にはあった、ということでしょう。
その後の自動小銃のコンテストにしましても、やり方自体はわが国の企業における製品のテストとさほど差はなく、現実に動くものを作ろうとすればそのやり方は、西も東も関係なく似たようなものになるということでしょう。
たとえ社会制度が異なるとはいえ、国家間で白兵戦を行えば、優れた武器を持っていたものが勝つという冷徹な事実故に、自動小銃の世界では良いものを認めざるを得ません。銃器の良し悪しに社会制度も思想も価値観も、まるで関係はないのですね。
高まる英雄倫理の必要性
さて、官僚化が進んだのは何もソヴィエトに限ったことではなく、資本主義の国々においても多かれ少なかれ官僚化の流れに抗することは困難です。経営の世界では、ソヴィエト連邦における国営企業も、わが国におけるメガバンクも、官僚支配が行き届いていた間は非効率的なままに存続を許されておりました。
しかし、自由競争が導入され、グローバルスタンダードが要求されるようになりますと、白兵戦と同様に勝敗が目に見える形となり、効率性が求められて良いものを認めるしかなくなります。そういたしますと、わが国において今日官僚的非効率性が問題となっている分野についても、自由競争の導入と国際的標準化を進めることで、官僚制の弊害を回避できるのではないかと思われます。
この先の世界は、おそらく、そうした方向に進まざるを得ないはず。そうなりますと、前回のこのブログで述べました「英雄倫理」が要求される局面も増えてくるはずで、教育の場におきましても、「平均倫理」の型に生徒をはめ込むのではなく、「英雄倫理」を引き出す方向に向かう必要があるように思われます。
特に創造性の分野で英雄倫理を引き出す手段は簡単でして、良いものを良いと認めること、良いものを作り出す人を尊重することです。平均倫理の支配する世界では、出る釘を叩く、才能をねたむ、長所を認めるのではなくあら捜しをする、といった行為に走りがちです。しかしこれでは、官僚支配には好都合であるものの、新しいものを生み出す力は大きく削がれてしまいます。
結局のところ、今日の社会で一般的となっております規範を徹底するという考え方からは一歩退き、横並びを目標とするのではなく、多様性を尊重すること、個々の長所を認めて多少の規範逸脱も許容する方向に、大きく舵を切る必要があるのではなかろうか、と私には思われる次第です。
「奇貨おくべし」、昔の人はうまいことを言ったものですね。