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ジャン・ラディック著「アインシュタイン、特殊相対論を横取りする」を読む

本日は、ジャン・ラディック著「アインシュタイン、特殊相対論を横取りする」を読むことといたしましょう。

アインシュタインの相対性理論

特殊相対性理論を打ち立てたのは、アインシュタインではなく、本当はポアンカレだというこの書物、著者の主張には少々首をかしげる部分もありますが、なかなか面白い内容ではあります。

以前のブログにも書きましたように、アインシュタインの相対性理論とされております俗説には相当に不正確な部分が含まれております。俗説では、何から何までアインシュタインが発見した法則であるようにいわれているのですが、アインシュタインの功績は、エーテルの存在を否定したことである、と私は理解しております。

その論拠は、光速一定の原理に基づいた空間の理論であるのですが、光速が一定であるとの知見はマイケルソンとモーレーの功績ですし、進行している物体の長さが縮むという考え方はすでにローレンツが発表していたことも誰も否定しないと思います。

同書には、アインシュタインやミンコフスキーの4元時空の幾何学はすべてポアンカレが事前に発表していたとしておりますが、ポアンカレの書物を読みます限り、ポアンカレはエーテルの存在を疑っていなかったように、私には思われます。

もちろんその後ポアンカレがエーテルの存在を否定する論文を発表していた可能性は否定できないのですが、ポアンカレを大いに持ち上げております同書にこの記述がないということは、おそらくポアンカレといえどもエーテルの存在までを否定はしていないのではなかろうかと推察されます。

ポアンカレは、今日ポアンカレ群と呼ばれております数学の一分野を研究した方で、この内部にミンコフスキーの幾何学も含まれるとされております。つまり、数学的技法においては、確かにポアンカレは先んじていたのでしょう。しかしながら、物理学は自然の叙述であり、数学ではありません。世界の叙述という意味ではアインシュタインの功績を認めてもよいように私には思われます。

相対論はどこから生まれたか

このあたりの議論につきましては、広重徹氏の解説「相対論はどこから生まれたか(日本物理学会誌26巻6号p380(1971))」に詳しく解説されております。また、他の解説はWebでもみることができます。

1971年の日本物理学会誌を読むことは、普通の人にはなかなかむずかしいと思われますので、以下広重氏の解説を少し引用しておきましょう。以下、人名はアルファベット表記からカタカナに直しました。また、段落を適宜補っていることをお断りしておきます。

確かにそれ(ポアンカレ-ローレンツの相対性理論)は相対論とよびたくなるような理論であった。数式の面から見ると、それは相対論と同じ形をしている。その上ポアンカレはしばしば、“相対性原理”ということを唱えている。

しかし見落としてならないのは、それで彼が意味したのは、対エーテル運動の実験的検出不可能性のことだったということである。

ポアンカレにとって、それは理論からの帰結として説明されるべきもので、アインシュタインにおけるように、その上に全理論が築かれる構成的原理ではなかった。ローレンツ-ポアンカレの理論はあくまで、生じているはずの効果が表に現れないことを説明する理論だったのである。この点がそれを、すべての慣性系の同等性という原理から出発する相対論から、決定的に区別するものである。

しかし、ローレンツ-ポアンカレの理論は、生じているはずの効果が表に現れないのはなぜかという、人々が長年追求してきた問題には完全に答えるものであった。当時の人々の問題意識からすればそれでことは落着したのであって、その上アインシュタインに俟つものは何もなかった。

じっさい、1905年以後しばらくの物理学者たちの議論を読んでいると、彼らはローレンツ理論を正統として受け入れており、アインシュタインの名は、同じことを多少違った形で表現した人としてあげるに過ぎない。

アインシュタインの理論の革命性をはじめて明瞭に指摘したのは、ミンコフスキーであった。ローレンツとポアンカレは、前者ははっきりと明言し、後者は完全な沈黙によって、アインシュタイン理論への不同意を表明していた。……

しかし、いうまでもなくローレンツ-ポアンカレの理論は、今日われわれの理解する相対性理論ではない。なぜなら、それはアインシュタインの相対論とは異なる問題を追及していたからである。ではアインシュタインの追った問題とはなんだったのか?

こう書いた後に、広重氏は、相対性理論を確立した際のアインシュタインがどのような情報に接していたかを述べます。ラディック氏の主張とはかなり異なり、広重氏はアインシュタインの得ていた情報はきわめて限定的であった、といたします。

そして広重氏の先の疑問には、結局答えは見出せずに終わっているのですが、ここで注目されるのは、アインシュタインが同時に光の粒子性に基づく光電効果の説明を行っていることです。光が粒子であれば、エーテルなどは最初から不要になります。しかし、アインシュタインはエーテルが不要だから相対論が必要になるという主張を行っているわけでもなく、先の疑問は疑問のまま残されます。

そして、広重氏は、電子を電磁場の特異点であるとみなす電磁的自然観に対応して、光の粒子を場の特異点として捉えようとしたのではないか、という可能性を提示し、アインシュタインが統一場の理論を目指したことに言及するのですが、その根拠はあいまいなままに終わっております。

結局のところ、20世紀初頭の物理学激動の時代は、誰が何を考えていたのかという点で、謎の多い時代であった、ということができるでしょう。

私生活への攻撃

ラディック氏の書物に戻ります。

同書には、アインシュタインは数学が良くわからなかったとの記述があるのですが、群論に関する理解までを要求するのは20世紀初頭の物理学者には酷というものではないかと思います。ポアンカレの論文が引用されないのも、それがアインシュタインの理解の範囲を超えているなら、当然であったように私には思われるのですね。つまりは群論という数学の世界はアインシュタインにとっては別世界であった、ということではないのでしょうか。

この本は、アインシュタインを貶め、ポアンカレを持ち上げるという思想に一貫しておりまして、少々やりすぎの部分も多いように私には思われます。創価学会風、といえばわかりやすいでしょうか。太字で書かれた小見出しの一部をあげれば次のようになります。

アンリ・ポアンカレ:1854~1912年

学者としての輝かしい経歴
科学に仕える、才能に満ちた独創的研究者
すばらしい人格者
バランスのとれた家庭生活

アルバート・アインシュタイン:1879~1955年

学校から特許局へ
困難だった大学人としての始まり
意に沿わない最初の結婚
一人の野心家が復讐に備える
大学の「やつら」
他の研究者のアイディアを求めて

このあとも、もう、アインシュタインに対してはこてんぱんです。家庭生活と学問的業績など、あまり関係ないように私には思われるのですが、何を言いたいのでしょうね、この方は。

光速一定という原理

アインシュタインの相対性理論は光速一定という原理に基づいて展開されているのですが、これに対して同書は次のように疑問を挟みます。

アインシュタインの(光速一定という)公準は、特殊相対論の基礎にとって必要な公準であるとして彼と同時代の研究者によって評価され、頭の固い研究者によって現在でも評価されています。それが、相対論の生みの親がアインシュタインであるとされている大きな理由です。ところでこの公準は不要であるだけではなく、相対論の信頼性にも重大な疑問を投げかけます。

つまり、空間と時間の基本的な性質が、なぜ光という特別な物理現象に依存しなくてはならないのか、ということです。なぜ光がその場に存在していないときに、空間にその性質を強制するのでしょうか。なぜ重力が、なぜ光と関係のない素粒子の力学が、なぜ他のあらゆる物理現象が、光という現象に依存するのでしょうか。逆に、空間と時間の性質がさまざまな物理現象の特殊性を規定できるほうが論理的に思われます。

光速は、確かに真空中での電磁波の伝播速度なのですが、単に光の速度というだけの意味合いにとどまるものではありません。4元時空を考えるとき、時間軸と空間軸の単位をあわせるために、光速が使われるのですね。つまり、[x0 = i c t] なる関係により、秒単位で計られた時間が長さの単位に換算されます。

光速が時空の基本的な量であるため、光とはかかわりのない現象を記述する際にも、少なくとも時空がかかわる限りでは光速が出てくることは止むを得ません。

そもそもローレンツ変換にだって光速は出てくるわけで、光速が単なる光の速度という意味合いを超えた、時空を叙述するための重要なパラメータであることは、ポアンカレにしたところで認識していたはずです。もちろん、光速を1とする単位系を使用いたしますと光速は式の上には現れないのですが、単位系そのものが光速を含んでおりまして、光速との関わりが失われたわけではありません。

ちなみに同書は「ローレンツ変換」ではなく「ローレンツ-ポアンカレ変換」と呼ぶべきであると主張しております。これは、ローレンツが発表した最初の式にあった誤りをポアンカレが修正したためなのですが、ポアンカレ本人が「ローレンツ変換」と呼ぶ式の呼称を、ここでわざわざ変える必要はないように私には思われます。こんなことは、混乱を招くだけです。

さて、同書によりますと、光速一定の前提を置かなくてもローレンツ変換を導き出すことができるとしており、最大速度の存在も明らかになるとしております。確かに数学の公準として何をとるかは自由度があるのでしょう。ユークリッドの第5公準にしたところで、三角形の内角の和を2直角としてもよいし、平行線に交わる直線のなす角は等しいとしてもかまわないわけです。

そして、この最大速度と光速は異なってもよいのだ、と著者は主張するのですが、物理的には光速の不変が先にあり、これを説明するものとして特殊相対性理論が現れたわけで、光速を無視してしまっては本来の目的が果たされなくなってしまいます。

と、いうわけで、何から何までアインシュタインの功績とする俗流の相対論理解は論外といたしましても、アインシュタインの功績は功績としてきちんと認める必要があるように私には思われる次第です。

一般相対性理論

同書がもうひとつアンフェアなのは、一般相対性理論に関する言及がほとんどないことです。アインシュタインの打ち立てました一般相対性理論(重力論)まで考えますと、アインシュタインの才能を否定することはとうていできないように私には思われます。

もちろん、一般相対性理論にはリーマンらの、非ユークリッド幾何学に関する研究成果が利用されておりまして、数学という面のみに注目して強弁すれば、一般相対性理論には何も新しいものはない、ということになってしまいます。

同書は最後の部分でわずかに一般相対論に触れておりますので、この部分を引用いたしましょう。

アインシュタインは、他の多くの研究者の助けを借りて物質を時空と統合します。より正確には、リーマン時空という枠組そのものとなる理論を実現します。この時空は、その中に含まれる物質と密接に関係しています。このようにして彼は、一般相対論を作り出します。これは、現在では相対論的重力理論と呼ばれているものです。

もちろん、アインシュタインはリーマン幾何学を使用して重力理論を打ち立てたのですが、重力理論とリーマン幾何学とは別物でして、「リーマン時空という枠組みそのものとなる理論」というのは少々おかしな物言いであるように私には思われます。

補論1:ド・ブロイの式における振動数

さて、この書物、hν0 = m0 c2 なる式がありまして、もちろんこれは物質波を記述するド・ブロイの式なのですが、時間を虚数とするという以前のこのブログでご紹介した原理に従いましてミンコフスキー流の表記とするためには、左辺は振動数が入っておりますので虚数としなければならないのにもかかわらず、右辺は実数ということになります。これはおかしい、ということで、前回のブログに書きました次式の見直しをいたしました。

波動関数として提示いたしました式は以下のようになります。

Ψ(x) = exp(-(px) c / h')

式 [hν0 = m0 c2] は時間の項だけを取り出しており、静止した物体に関する式ということになります。これを(3)から取り出しますと次のようになります。

Ψ(x0) = exp(-(m0 x0) c / h') = exp(-(i t m0 c2 / h')

オイラーの公式を用いますと次のようになります。

Ψ(x0) = cos(t m0 c2 / h') - i sin(t m0 c2 / h')

周期(1/ν0)は三角関数のカッコ内が2πとなるに要する時間ですからν0 は次のようになります。

ν0 = m0 c2 / (2 π h') = m0 c2 / h

これは、ド・ブロイの公式そのものです。もちろんν0 は実数表記した振動数ですから、この式は間違ってはおりません。

結局のところ、振動数や周期を求める際にはオイラーの公式により三角関数に変換する必要があり、このとき虚数単位 [i] を表に出す必要があることから実数表記に戻す必要がある、というのが実態でした。

つまり、このやり方はどこも間違ってはいなかった、ということですのでご安心ください。また、Ψ(x) = exp(-(px) c / h') という式は、実はド・ブロイ波をあらわす公式だったのですね。

補論2:電流の作る磁界

さらに蛇足ですが、磁界というものは、電流、すなわち移動する電荷が作るものであって、相対論的効果によって生み出されるものです。今日では、ベクトルポテンシャルという概念により、電磁界が相対論的に形成されることが簡単に説明されております。本日はスペースが少々余っておりますことから、これにつきましても簡単に述べておきましょう。

x 方向に伸びる直線状の導体中に正電荷と負電荷がそれぞれ電荷密度ρ[C/m] だけあったといたします。この状態で、正電荷だけが空間速度 v で x 方向に移動した場合どのようなことが起こるかについて考察いたします。

まず、それぞれの電荷の4元速度を考えますと、負電荷の4元速度は (1, 0, 0, 0) と、時間方向の成分だけを持つ一方、正電荷の4元速度は (1, -i v / c, 0, 0) / √(1 - v2 / c2) となります。

電荷密度に速度を乗じたものが4元電流密度であり、その時間成分が電荷密度に相当するとしたいところなのですが、4元速度の時間成分は1ではなく、(分母が1よりも小さいため)1よりもわずかに大きい値となります。すなわちこういたしますと、見かけ上の電荷密度が増加し、導体が正に帯電することになってしまいます。

しかし、現実には電流を流しても導体が帯電したりすることはなく、静止座標系で観測される見かけ上の正電荷の電荷密度はρのままのはずです。ということは、静止質量に対応いたします正電荷密度はρ√(1 - v2 / c2) と、静止座標系で観測される電荷密度よりもわずかに小さな値とならなければなりません。この電荷密度は、静止質量と同様、電荷上にとられた座標系から観測される電荷密度を意味します。

そういたしますと、なんと4元電流は j = ρ v' と表現されるのですね。なぜここでv'が出てくるのでしょう。その必要性は理解できるのですが、実に奇妙な印象を受けます。この式を速度と整合する形で書こうと思えば j = ρ' v として移動する荷電粒子の静止電荷密度ρ' を導入し、これが速度によって変動するとせざるをえません。

この不思議な状況が生じる理由は、個々の荷電粒子が等間隔で一列に並んでいると考え、電荷密度を、個々の粒子の電荷を粒子間距離で割って与えれば考えやすいと思います。荷電粒子に速度を与えたところで、配線の長さも粒子の数も変わりませんので、粒子間距離は変化いたしません。

移動している粒子間の距離は、粒子の座標系でみた距離に比べて縮んでおり、このことを逆に考えれば移動粒子上の座標系で観測される粒子間距離は大きくなっております。この結果、移動する電荷上にとられた座標系で観測される電荷密度ρ'は、静止座標系で観測される電荷密度ρよりも多少小さい値、ρ √(1 - v2 / c2) となります。

一方、負電荷の電荷密度は、実際の(静止座標系における)電荷密度がρであり、正電荷とともに移動している座標系からこれを観測いたしますと、その荷電粒子間の距離は√(1 - v2 / c2) 倍になって(縮んで)観測されます。この結果、電荷密度は増大しρ/ √(1 - v2 / c2) の大きさとなります。

結局、静止座標系において電流の流れている導体は、静止座標系から観測した場合は正負の電荷がバランスしていたのですが、これを移動している座標系から観測いたしますと、次式で示すようにバランスが崩れてしまいます。

ρ+ - ρ- = -ρ v2 / {c2 √(1 - v2 / c2)}

ここでは電荷の移動速度と移動座標系の移動速度をともに速度 v としたため分子には v2 が現れるのですが、実際には、電流ρv が流れている導体を速度 v で移動する座標系から観測すると、余剰な(逆の)電荷が観測されるということを意味します。この結果、速度 v で移動する正電荷を持つ粒子は、導体に引き寄せられることとなります。

同じ方向に電流が流れる2本の導体があった場合も同じことがいえまして、上の例のように正電荷のみが移動していたとすると、移動している正電荷は電流の流れている導体に引き寄せられる一方で、移動していない負電荷には、静止座標系においては導体上の電荷がバランスしているため力が作用せず、移動している正電荷に作用する力のみが現れることとなります。

通常、相対論的効果は速度の光速に対する比が小さい間は現れないのですが、磁場はその例外的存在です。これは、クーロン力がきわめて大きく、わずかな電荷のバランスの狂いであっても大きな力が生じることによります。逆に言えば、日常的に現れる電荷のバランスの狂いは、極めて微々たるものである、ということもできるでしょう。

移動している電荷によって生じる電場は、静電場が電位、すなわちスカラーポテンシャルにより形成されることに対応して、ベクトルポテンシャルにより形成されるものと考えられます。こちらは移動する電荷が形成する場であるため、空間的な方向を持つベクトルとなります。

ベクトルポテンシャルは、空間的には、電流と同じ方向を向いたベクトルであり、導体から遠ざかるにつれて小さくなります。この事情は、スカラーポテンシャルが電荷から遠ざかるにつれて小さくなるのと同じです。

ベクトルポテンシャルはスカラーポテンシャル、すなわち静電場とともに4元ベクトルを構成いたします。つまり、相互に移動する座標系間では、4元時空内での回転変換として扱うことができます。

ベクトルポテンシャルは、マクスウェルが電磁気学の基礎方程式を導いた際、最初に着想した概念ですが、その後しばらくは忘れ去られておりました。そして、相対論の登場後、4元時空の電磁場を記述するポテンシャル場として再認識されるのですが、その実在性は疑われておりました。

しかし今日では、ベクトルポテンシャルにより電子が影響を受けるというアハラノフ・ボーム効果の理論的予測が日立の研究者により実験室的にも確認されたことから、ベクトルポテンシャルは実在の場であると考えられております。


虚数時間の物理学、まとめはこちらです。