長谷川良氏の3/25付けアゴラ記事「トランプ氏のディール外交は非人道的か」へのコメントです。
トランプ氏の様々な言動に対して、多くの人が「何か変」という印象を抱くのは、ある意味、当を得ております。スポンヴィル氏は彼の著「資本主義に徳はあるか」で、この手の行為を「滑稽」と評するのですね。(参考)
その意味は、世界にはいくつかの独立した「秩序の層」というものがあり、それぞれに属する行為はそれぞれの層の論理で語られなければいけないとしております。これを外した議論を、彼は「滑稽」と評するのですね。
この秩序ですけど、最下層が「科学・技術・経済」の層で、それは実現可能か否かが議論のポイントとなります。次が「政治と法律」の層で、合法違法が判断基準となる。その上が、為すべきか否かを基準とする「道徳」で、さらに上に「愛と倫理」、「信仰」の二階層を置いているのですが、上の二つは道徳の層とさほど異なるものではありません。
これらの層は、完全に独立したものではなく、法律作りには道徳が参照されるだろうし、経済的事情も反映されます。でもひとたび成立したら、成立した法や国際ルールの枠内で議論しなくてはいけない。トランプ氏のおかしなところは、政治の世界を損得で捻じ曲げようとすること。それをしたければ、実行に先立つルール作りの段階で、ディールしなくちゃいけないのですね。
今日の米国思想の根底にはパースらを始祖とするプラグマティズムがあり、その世界観はヴィトゲンシュタインの論理実証主義をベースとしているように見受けられます。プラグマティズムはカント思想から道徳の元とも考えられる「定言命法」を排除することをスタートラインとしており、論理実証主義は、道徳や美学、信仰を世界の外側に置いております。米国が「科学・技術・経済の階層」中心で走ることは、無理もない話であるのかもしれませんが、一方のスポンヴィル氏の言を見れば、欧州の知性は健在である、との感もいだく次第。その悪い所(滑稽なところ?)が出てしまったのがトランプ氏、ということなのでしょう。(参考、こちらも)
jindoutoha