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求められる、歳を超越する能力

黒坂岳央市の6/28付けアゴラ記事「40代以降の人生がハードモードになりやすい真の理由」へのコメントです。


人生100年時代を想定するなら、40代・50代はまだ折り返し地点ですらない。諦めて生きるにはあまりにも早すぎる。今からでも少しずつ年齢相応の人格、振る舞い、知識、仕事のスキルや立場を取り戻す努力をすることで、人生に輝きを取り戻すことができるだろう。

このご指摘ですが、今日の大きな問題は、年齢相応の実力をつけていくこととはちょっと違う方向にあるように思われます。

と、言いますのは、古き良き時代では、世の中の変化が人生よりも長いスパンで起こっていた。もちろん、明治維新のような激動の時代は別ですけど、普通であれば、若い日に身に着けたものがそのまま年をとっても通用する。年齢とともに、身に着けた力が徐々に増えていく。真面目に生きておれば、年相応の実力が自然に備わったものです。

ところが今日では、職務に要求される知識能力が、どんどんと変わっていく。およそ10年単位で、全然違う力が要求されるようになりました。1960年代までは、海外の技術をキャッチアップする、基礎学力があればよかったのですが、70年代になると、新しい概念を創造する力が求められ、数値解析が多くの技術者に要求される。1980年代になると、同じ力が事務職にも要求され、情報技術が経営全般に利用されるようになったのですね。

さらに、90年代になると、インターネットの利用が当たり前になり、膨大な情報を分析する能力(情報リテラシー)が要求される。さらに世紀がが変わると、情報通信環境下でのビジネスが米国を中心に勃発し、我が国のテリトリーが侵される。こうした環境下で、年相応の実力などというものは、色あせてしまいました。人生100年時代に要求される実力は、常に新しい知識能力をゼロから構築する力、年老いない生命力、永遠の若々しさ、といったものが要求されるようになった、ということではないでしょうか。

1 thoughts on “求められる、歳を超越する能力

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