アゴラ編集部の7/12付けアゴラ記事「東大70年ぶりの新学部はエッセーや英語面接で選抜:『慶応SFC化』を憂慮する声」へのコメントです。
こうした変更に対し、大学の国際化を歓迎する声がある一方で、懸念や批判も相次いでいます。
とくに指摘されているのが、共通テストや個別試験で実力を示して東大に挑戦してきた地方の優秀な受験生が不利になる可能性です。面接やエッセー、英語力など「資源のある家庭」が有利な項目が重視されることで、教育格差の拡大や“東大の世襲化”を加速するのではないかという危惧が広がっています。
これまで30年にわたって日本は全然成長していないという事実は、危機的状況にあると認識しなくてはいけない。教育機関の責任も重大です。それがわかっているのは、さすがに東大であるといえるでしょう。
情報革命にキャッチアップできず、GAFAMにしてやられて30年、もはや教える側にも人材がいないことがわかってきた。これからは、海外に飛び出すなり、オンラインで海外と張り合って何とかするしかない、ということでしょう。
「共通テストや個別試験で実力を示して東大に挑戦してきた地方の優秀な受験生」というのは、つまりは、これまでの東大に合格してきた受験生であったのですが、彼らが卒業しても、日本は全然進歩しなかった。かつての教科書や個別試験の結果など投げ捨てて、改めて蘭学事始めから(つまりは1から)やり直すしかない。そういう試みを、スケールは限定した形でまずやりましょう、ということですね。
もちろん、海外の進んだ技術をキャッチアップするというのは一つの方向で、日本発のさらに進んだやり方を見出すという方向性もないわけではないし、むしろこちらの方が、できることならものにしたいところです。でも独りよがりは結局失敗する。敵を知り己を知る、という方向性は悪いものではありません。