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『ウクライナ贔屓』は当然だが

篠田英朗氏の9/1付けアゴラ記事「(続)『コロナ自粛警察』と『ウクライナ応援団』:消された『三密の回避』と『勢力の均衡』」へのコメントです。


いろいろと変な印象を受けるエントリーです。

まず、コロナに関して、三密防止やクラスター対策はきちんと行われたように見えましたし、少なくとも、西浦氏の考え方がこれらの対策を拒絶するというような事実はなかったのではないでしょうか。

むしろ、あらゆるコロナ対策を拒絶する考え方が一方にあったのですが、これは、西浦氏の主張とも正反対のものであると、私は認識しておりました。つまり、経済優先、という考え方ですね。

宇露戦争に関してウクライナの肩を持つのは、ある意味、当たり前の話であるように思えます。つまり、ロシアは我が国固有の領土を占領しておりますいうなれば無法者国家ですし、我が国の国民を拉致して返さない北朝鮮に軍事技術を供与しているとんでもない人たちです。ロシアは我が国にとって現実の脅威であり、その勢力が衰えることは、我が国にとって歓迎すべきことなのですね。

もちろん、そうはいっても一方的に拒絶する態度も有害です。例えば鈴木宗男氏のような、ロシアと会話のチャンネルを持ち得る人は大事にしておかなくてはいけないし、ロシアと我が国が武力衝突に至るような事態は避けなくてはいけません。もちろん、そうは言いつつも、ウクライナ側に偏った見方をすることは、これはこれで当たり前の話であるように、私には思われます。


返信が付いております。

岩崎 徹也

篠田さんは「西浦氏の考え方がこれらの対策を拒絶」したなどとは言っていません。過度の行動制限など無用な政策へ導いたと言っているのです。


瀬尾 雄三

岩崎 徹也さん

> 篠田さんは「西浦氏の考え方がこれらの対策を拒絶」したなどとは言っていません。

このエントリーには、以下のようにしっり書かれております。西浦氏が「三密対策なんてダメ」といったわけではないけれど、結果的に、西浦氏の考え方がその他のアプローチを拒絶してしまったというのが、このエントリーの趣旨ですよね。

> 結果として、メディアでは「西浦モデル」が「専門家の代表」と扱われるようになり、「西浦モデル」に合致しない意見は、「専門家の意見に反した暴論」と扱われるようになった。恐らくは「専門家」の全てが「西浦モデル」を支持したわけではなかったはずだが、社会的理解が不可欠なコロナ対策において、「西浦モデル」がメディアを制圧したのは大きかった。「三密の回避」は時代遅れとされるようになり、政策的にも、世論同行においても、混乱が広がった。

まあ、いろいろな読み方ができるということは、否定いたしませんけど。

1 thoughts on “『ウクライナ贔屓』は当然だが

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