北村隆司氏の11/19付けアゴラ記事「高市首相の『台湾有事発言』への欧米の意外な反応と今後あるべき姿」へのコメントです。
「高市首相の国防観には一定の期待を持っていましたが、今回の発言には深い落胆を覚えています」ということですが、今回の高市氏の「問題発言」は、読売オンラインによりますと、以下の形で発せられております。これを見る限り、全然おかしな話ではありません。https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20251113-OYT1T50009/
岡田氏は、高市首相が昨年の自民党総裁選で、中国による台湾の海上封鎖を存立危機事態の例に挙げていたことに触れた上で、どのようなケースがあてはまるか、首相に繰り返し答弁を求めた。
首相は、台湾の海上封鎖を解くために米軍が来援すれば何らかの武力行使があり得ると語り、「戦艦を使って武力の行使を伴うものであれば、どう考えても存立危機事態になり得る」と述べた。
つまり、(1)中国による台湾の海上封鎖がなされ、(2)これを解くために米軍が来援し、(3)何らかの武力行使、特に、戦艦を使って武力の行使を伴う場合には、(4)『存立危機事態になり得る』というのですね。
このような事態にあっては、南西諸島の防衛と住民避難のため、自衛隊の艦船が周辺海域に展開していることは十分あり得、この眼前で米中の艦隊が交戦状態になれば、米軍を支援する展開となることはあり得ると考えるのが普通でしょう。
今回の高市氏の答弁は、何らおかしな話でもなく、かつ、それは、『あり得る』と、あくまで可能性を肯定しているだけなのですね。どこに問題があるのか、さっぱり理解できません。これに怒る中国は、ひょっとして、「日本が米軍の活動に協力しないこと」を期待していたのではないでしょうか。そんなことをしていては、それこそ我が国の存亡にかかわってしまいます。
以下はブログ限定です。実は二値論理でも、このあたりのことはきちんと定義できます。論理記号を使って表現すると、次のようになります。
ます、『ある』に相当する表現は、『∀(全称限量記号)』を使って、「 ∀ケース∈海上封鎖に伴う米中武力行使(存立危機事態(ケース))」とすれば、「海上封鎖に伴う米中武力行使のあらゆるケースに対して、命題『このケースは存立危機事態である』が成り立つ」という意味になります。
また、『あり得る』に相当する表現は、『∃(存在限量記号)』を使って、「 ∃ケース∈海上封鎖に伴う米中武力行使(存立危機事態(ケース))」とすれば、「海上封鎖に伴う米中武力行使というケースのいずれかは、命題『このケースは存立危機事態である』が成り立つ」という意味になります。
ちなみに、あり得ないは、「『∀(全称限量記号)』と『⌐(否定記号)』を使って、「 ∀ケース∈海上封鎖に伴う米中武力行使(⌐存立危機事態(ケース))」とすれば、「海上封鎖に伴う米中武力行使のあらゆるケースに対して、命題『このケースは存立危機事態である』が成り立たない」という意味になります。
今回高市総理が答弁されたのは、二番目の意味だということ。つまり、「存立危機事態となるケースもあり得る」ということですね。しかし、二値論理を当然と考える人の中には、二番目の状態を受け入れがたい方もおられるようで、高市氏の答弁を一番目の意味にとらえている方もおられるように見受けられます。この辺りは、論理学をきちんと学ばれて、∀と∃の概念を把握しておく必要があります。
この手の誤解は、単なる無知というわけではなく、実は「寛容の原理」というのが論理の世界にもあり、「偽であるといえないものは真とみなす」という考え方もあるのですね。これは例えば誰かが間違いを犯していると指摘する際などに有効な原則です。
私が見かけた例では、「この扉は終点以外では開きません」と書かれたバスの扉が終点で開かないことに文句を言う乗客がいたのですが、これは、寛容の原理ゆえに間違ったクレームなのですね。なにぶん、この扉が終点で開くか開かないかなどということは、どこにも書かれていないのですから。終点での扉の開閉は不明であり、開いても開かなくても運転手は間違ったことをしているわけではないのですね。
刑事事件の例では、「疑わしきは罰せず」という原則も寛容原理の一形態ではあります。とはいえ、今回のケースでは、『どちらともいえない』が一つの重要な状態であり、この状態も受け入れる必要がある。寛容原則を適用してはいけない問題です。
論理記号を用いて厳密な議論を行えば、国会も紛糾しないし、誤解の入り込む余地もなく、国際的な合意も取りやすいという利点があります。でも、これをやるには国会議事堂にホワイトボードを導入する必要があり、後ろのひな壇とのレイアウトをどうするかという、幾何学的問題も発生しそうです。まあ、最新の電子技術を用いれば、液タブに描いた図形や数式を各議員の机上に設けたタブレットに表示するなどの手段も取りえそうで、こちらは大した問題でもないかもしれません。それよりも、議員の方々に論理学を学んでいただくことが、まず必要で、こちらの方が少々難題かもしれません。でも、論理に関する一般常識は、議論をするうえでも必要なのではないかと思うのですね。
一方、「『(1) 存立危機事態となる場合』と『(2) ならない場合』と、『(3) 双方の可能性のある場合』の三通りあるけど、今回は(3)です」と言えば、話は簡単でした。ただし、この命題から論理展開する際には、三値論理の演算規則を適用しなくてはならず、こちらはちょっと難物です。まあ、命題を天下り的に受け入れていただけるなら、それでも良いのですが。あ、「やだ」もありますけど。
