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実際は『目的』だった『手段』

アゴラ編集部の1/21付けアゴラ記事「立民・小西洋之議員「安保法制は違憲」から一転 『合憲容認』の無節操」へのコメントです。


「目的のためには手段を選ばない」というのは、あまり良いことではないとされているのですが、よくある話です。一方、「手段のためには目的を選ばない」となりますと、これはどこかおかしい。

そのおかしい理由ですが、頭がおかしいとは申しません。まあ、そういう可能性だってないわけではないのですが、実際にありそうな理由として、掲げられていた「目的」なるものは、世を欺く偽りの目的であって、実は手段の部分こそが目的であった、と疑うのが妥当ではないか、と思うのですね。

今回の場合は、「目的」とされていたのは崇高な政治理念なのですが、実は本当の目的は、「手段」である「国会議員になること」だったのではないか、という疑いですね。

まあ、国会議員は、給料もよいですし、交通費や文通費を税金で出してくれる。みんなが頭を下げてくれる「エライ人」とみなされる。「センセイとなんとかは、三日やったらやめられない」などと言われる「センセイ」に該当するのですね。

これ、中道改革に参加した旧立民の方々に関しては、疑いを通り越して、ほとんど確信になっちゃっているのではないでしょうか。こういう国会議員って、国民にとって、存在する意味が果たしてあるのでしょうか。なんか、税金の無駄遣いであるような気がするのですが、これも、疑いを通り越して革新、じゃない、確信に近いものがあるのですね。

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