森本紀行氏の2/3付けアゴラ記事「アキレスと亀、矢と的の背理」へのコメントです。なお、この話題、本ブログでの初出はこちらです。
この「ゼノンのパラドックス」、哲学者の大森荘蔵氏が「時間と存在」の中で議論しておられますね。これを読んで、まだこんなことが哲学の課題になるのか、と感心すると同時に、私の脳裏に面白い光景が目に浮かんでまいりました。
アキレスをただで走らせるわけにもいきませんから、ホールケーキを走った距離に応じてアキレスに提供することにします。亀(速度はアキレスの半分)がコースの半分まで進んだところで、アキレスをスタートさせるのですね。
私は亀のいた位置に先回りして、アキレスを待ち、アキレスの到着を待ってレースをいったん中断し、ケーキの半分を提供する。そして同じことを繰り返すのですが、今度はコースの1/4しか走りませんから、提供するケーキも1/4となります。
これを繰り返すうちに、アキレスはこういうでしょう。「こんなことをちまちまやっていてもしょうがない。次はゴールまで行ってしまうから、残りのケーキを全部よこせ」と。それをやった結果、アキレスは亀を追い越し、トータルでコースを完走し、ホールケーキを全部食べた、というわけです。まあ、このエントリーと同じ趣旨なのですが、アキレスの心理を考えると、納得のいく話でしょう。
同じような話を、北杜夫氏が「どくとるマンボウ航海記」の中で紹介されています。こちらは、ウイスキーの水割りを永久に飲み続ける話で、半分になったところで水で薄めて満タンにする。こちらも、ある段階で、薄くなりすぎて耐え切れず、全部飲んでしまったと。上のアキレスのお話は、現代にも意味を保ち続けております。
以下は、ブログ限定の与太話です。
上の、ゼノンのパラドックスに対する現実的解決(?)によく似た話に、朝永振一郎氏の「繰り込み理論」があります。これは、量子電磁力学計算の過程で生じる発散という問題を解決する理論で、この功績により朝永氏は1965年のノーベル物理学賞を受賞されています。
この理論、詳しいところは理解不能なのですが、同時にノーベル物理学賞を受賞されたファインマン氏によりますと「計算を途中で打ち切る」ということだそうです。こちらはこちらで、簡単すぎて何を言っているのかよくわからない部分もあるのですが、北杜夫氏が、薄くなり過ぎた水割りを「全部飲んでしまった」、というのと同じ原理であるように見えます。
まあ、この事実をもって、北杜夫氏が繰り込み理論の実験的立証をされていた、と主張することができるとしても、「どくとるマンボウ航海記」の発表は1960年で、朝永氏のノーベル物理学賞受賞よりは先行するのですが、繰り込み理論の発表は1947年ですから、こちらが先でした。実証も、水素原子のラムシフト計算でなされてましたし。まあ、「水割り飲んでノーベル賞」というのは、「トリスを飲んでハワイに行こう」みたいで面白いのですが、ちょっと無理がありましたね。
それはともかく、繰り込み理論とゼノンのパラドックスの関係は、ちょっと気になるところです。まったく関係がないわけでもないような気がするのですが。