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日本の原発が未来を失った理由

澤田哲生氏の2/6付アゴラ記事「シン原発 vs ゼロ原発:2026総選挙〝シン高市政権誕生〟と原発のゆくえ」へのコメントです。


我が国の原発政策の不幸は、推進派と反対派が完全に分かれてしまっているということ。この結果、ポパーが言うような「反証可能性」が失われているという点でしょう。ポパーの反証可能性とは、様々な主張に対して、「それは間違っている」と主張する可能性で、この「反証」を否定する過程を通して、最初に唱えられた説の正しさがより向上するという考え方なのですね。

原発を推進するという主張に対しては、その危険性を指摘する主張が「反証」になるわけで、これを科学的な根拠に基づいて否定する過程を通して、原発の安全性が高まる。ここで、原発の危険性を指摘する主張に対して、「こいつらは反原発派であり、意見を聞く必要はない」といった反応をしてしまうと、原発が安全であるとする主張の信頼性を高めることができなくなるのですね。

逆に、反対派は原発が必要であるとの主張に対して聞く耳を持たない。こちらも困ったものですが、その必要性の一部を推進派も認めないのにもちょっと困ったものなのですね。何分、新たな原発技術の必要性は原発の問題点の指摘でもあるのですから。

現在、我が国の高速炉開発はもんじゅの事故でとん挫しており、世界的にも進んでいない。でもこの技術は放射性廃棄物処理にも必要な技術だし、核融合燃料を作るうえでも有用な技術なのですね。反対派がこれに反対するのは妥当だとしても、推進派もあまり触れたがらない。放射性廃棄物は大した問題でもないことにしたいようにもみえますが、一方で、最終処理の話も進まない。これはちょっと問題であるようにも思えます。

もう一つは、2030年代にも核融合技術が完成の域に達すると予想されており、2050年代にはおそらく実用化されるのでしょう。そこまで見通せば、新規に原発を建設するよりも、今日の問題を片づけることを優先すべきとも思われます。つまり、高速炉とプルトニウム燃焼炉の開発ですね。長期的な視点は、核技術に若い人が魅力を感じるうえでも、必須ではないでしょうか。

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