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必要条件は、新規性か独自性か

岡本裕明氏の2/8付けアゴラ記事「賢人を真似ることと自分で考えること」へのコメントです。


考えてみれば我々日本人は賢人の行動や言動を深く学ぶことを歴史的にずっと行ってきたと思います。江戸時代の寺小屋でも吉田松陰でも蘭学でも、更には現代では名経営者とされたホンダ、ソニー、松下などの創業者の書籍は読み継がれます。私は日本人は賢人をトレースする文化が非常に強いのだと思います。この分かりやすい例がカラオケであり、カラオケで点数を競うのもトレーサビリティが基準になります。一方、アメリカの歌手が他人の歌を歌う時はどれだけ自分のイメージを取り込み、自分の曲にするかが決め手で時としてオリジナルの曲を凌駕することすらあります。まさにクリエーションの世界ですね。

クリエーションには、二つの面があります。一つは、自分自身から発するオリジナルのものを作り出すという意味で、「著作物」、つまり「表現」の価値は、このオリジナリティにあると考えられております。表現に属すソフトウエア開発の現場では、オリジナリティを保証するため、外部情報を遮断した「クリーンルーム」での開発なども行われております。これは、学術研究の世界とは真逆のありかたです。

もう一つの面は、人類がこれまでに得たことのない、新しいものを作り出すという意味で、「発明・発見」の評価に際しては、この新規性が重視されます。特許として認めるかどうか、あるいは、学術的価値を議論する際には、こちらが重視されるのですね。

だから、表現の成果物としての作品を創造する芸術家では、作者独自のオリジナリティが尊重される一方、学術論文に際しては、過去に行われた研究に対する新規性、「エトヴァス・ノイエス」を示さなくてはならず、既往研究の列挙が論文の冒頭部分で示されるのですね。もちろん、その目的は、過去の研究にない独自の部分が己の論文にあることを示す点にあるのですが。

ただ、表現に際しても、既往の表現が重視されることはあり、特にこれが日本で強く意識されているということはあるでしょう。日本文化は型を重んじる傾向があり、そのためには、これまでに確立された型をマスターしたうえで、これを乗り越える必要がある。まあ、表現の世界でも、個人よりも社会性を重視するのが日本的であるということかもしれません。つまり、表現の世界も学術的性質を帯びるということ。よく言えば、伝統重視、というのが日本的なるものであるのかもしれません。

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