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姿なき人々の、やり場のない怒りの行く末は、、、

イラクで人質になった3人に、自己責任を求める批判が殺到したのはついこの間の話。今度は、北朝鮮に拉致されたヒト達の家族会に批判が殺到しているとのことです。家族会、小泉訪朝の成果に批判的だった、それがけしからん、というわけですね。

コレをどう見るか。まず、家族会の発言、残された10人の失望はわかります。で、小泉訪朝に厳しい発言が出てくるのは、ある意味、当然の話でしょう。

でも、この発言、マスコミで伝えられ、大勢の、おそらく数百万人のヒトが聞いた。だから、千人に一人くらい、批判的な意見を書いてよこしても不思議はない。

ま、批判が殺到、これ、ニュースになるほどのこともない、ある意味、当然の反応。つまり、家族会の人たちが、どのように発言したところで、千人に一人くらいは反対意見を持っても不思議じゃないんですね。これ、マスコミを通じて、広く伝えられた結果として、受け入れざるを得ない負担です。

でも、そういう計算をした上でもなお、このような批判の風潮には、ちょっと危険なものを感じるのですね。弱いものいじめといいますか、強いものに尻尾を振る、弱い者達の、屈曲した精神の病理が見えてくるのですね。

今の日本、閉塞状況と言われているのですけど、青天井の成長は望めない。でもそれは、みんなが豊かになったから。今の日本、みんな良い暮らしをしている。でも、成長率の鈍化、コレを許せぬヒトもいる。実に、欲望には限りがないのですね。

かつての日本、給料が安かった。低い人件費を武器に、工業製品世界中に売った。その頃には、働けば働くだけ楽になる、明日は昨日よりも良くなることが期待された。でも、いまや人件費は中国の方が安い。まじめ一徹では、今日よりも良い明日は来ない。この上を目指すなら、知恵を使うしかない時代になったのですね。で、その知恵が問題。

日本のシステム、個人の主体性、考える力、を抹殺する仕掛けになっている。だから、学校で馬鹿になり、会社に入って、ますます批判精神を奪われる、終身雇用と年金で一生安泰との話も、何か、怪しげな雰囲気に、、、

知恵を奪われ、もはや手遅れの人たち、この怒りのやり場、どこにあるのでしょうか? 結局のところ、弱者の怒り、向かう先は、弱者、しかないんですね。弱いものいじめ、共食いですね。この怒り、権力者には向かわない。権力を批判できるのは、自立した個人だけなのですね。でもそれは、至極、少数。

で、弱いものをいじめる、でも、自分自身弱いものであれば、そんなことしても、一時の憂さ晴らしに過ぎない。批判の先は目立つもの、つまり、メジャーになってしまった弱いものなんだけど、それを否定する行為、自分自身の明日を否定する行為なんですね。

弱いものはいつまでもメジャーになれない、こんなことやってちゃね。こんなヒト達、とうに、あきらめているのかも、、、絶望的な状況ですね。

批判は大いに結構なんだけど、自らに対する批判、自省も同時に必要、それが単なる鬱憤晴らしではないこと、世界人類の向上に帰するのかどうかまあ、そんなことも考えた上でしなくちゃいけない。あと、当たり前のことを言ったところで情報量はゼロ、そんな批判は、何の役にも立たないのですね。ま、早い話がゴミ、です。

ま、私のこの日記も、他人への批判、最近の話題も、たっぷり入ってます。でも、オリジナリティを心がけています。どこかで聞いたような話は繰り返さない。エトバスノイエス、何か新しいことを、それが日記書きの心意気。モノカキの美学、学者の魂であります。

より良い明日を作るにはどうしたら良いのか。もっと前向きに考えましょうよ。今気楽に使えるようになったネットの力の使い道、憂さ晴らしだけだなんて、もったいなさ過ぎます。悲しすぎますよ~!!

ネットのチカラを活用すれば、馬鹿げたシステムで傷つけられた日本人の考える力、きっと取り戻すきっかけがつかめるはず。この日記がそのお役に立てれば幸いです。