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文化の違い、ということ

喧嘩や紛争の原因は文化の違いにある、なんてことを書きましたけど、本日はこの点について、もう少し掘り下げてみましょう。

まず、文化とは何か、これをきっちり押さえておかなくちゃいけない。これも、書き出すと長くなるのですが、簡単に言えば、常識、その集団のヒト達が共有している知識、行動様式、価値観、などなどでして、それが事物に固定されて社会のあちこちに表れてくる。建築様式だとか、学問、芸術だとか、ま、コトバや習慣もそうですね。

しかし、文化を持つ集団にはいろいろあって、大は全人類から、小は小さな集団まで。「当家の家風」も一つの文化なんですね。

私が学校を卒業して勤めた工場、えらく田舎にあったのですね。で、私は独身寮に入りました。そこの食堂、卵料理を追加できる。まだ育ち盛りだった私は、栄養補給に、目玉焼きを頼むわけです。

普通、目玉焼きといえば塩と胡椒、でもそこ、ソースと醤油しか置いてない。で、私は迷わずソースを掛けて目玉焼きを食べるわけなのですが、それを地元のヒトがみて、大笑いする。なぜなんでしょうね。

多分、その土地では、目玉焼きといえば醤油を掛けて食べるもの、なのでしょうね。でもこれ、私の味覚には合わないのですね。これも、文化の違い。でも、これは喧嘩にはなりません。他人が目玉焼きに何を掛けたところで、第三者には、痛くも痒くもありませんから、勝手にやらしときゃ良い、ですね。

以前、駅で中年のおじさん同士が大喧嘩しているのを見かけました。互いに相手の態度が悪いといっているのですが、傍目には、どっちもどっち。でもおそらくそのヒト達、会社では偉いヒトなんでしょうね。で、みんなが気を使う、でも、駅の混雑ではそんなこと、気にしちゃいられない。で、怒り出す。馬鹿みたいですね。でもこれも、一つの文化の衝突かもしれない。

音楽やソフトのコピー、別にかまわないジャン、という常識も、一部にはあります。でも、レコード会社やソフトハウス、これ、とんでもない話だ、といいます。この喧嘩、レコード会社に分がありますね。何しろ法律がありますから。

イスラムは偶像崇拝禁止、で、パーミヤンの石窟、爆破しちゃったんですね。これ、我々から見るととんでもない話、文化財、大切にしなくちゃいけません。でも、偶像崇拝禁止の宗教も、それなりに合理性はある。それは否定できない。

大体、日本だって、似たようなことをやった過去があるのですね。明治維新直後の、廃仏毀釈、多くの仏像が破壊されたのですね。今にして思えばもったいない話ですけど、当時の情勢ではやむをえなかったのかもしれません。

さて、文化の対立、これを防ごうと思ったら、相手と共有できる文化を目指さなくちゃいけない。小さな社会の文化は、あまり表に出さず、より広い社会の文化を取り入れる。

仲間内の文化よりは、広く社会一般の文化に立脚して議論する。そうすれば、駅で見知らぬおっさん同士が喧嘩する理由はなくなります。互いに日本全体の文化を意識すれば、喧嘩も相当少なくなるでしょう。でも、一番良いのは、人類全体で共有できる文化を目指すこと。みんながそうすれば、戦争もなくなってしまうのですね。

ま、言うは易く、行うは難し、を絵に画いたような話なのですが、、、