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(アンベードカルによる)ブッダのタマシイ不在輪廻論

昨日の続きですが、ブッダとそのダンマで目から鱗の部分がこれ、仏教といえば輪廻転生、人はいろいろなものに生まれ変わる、と。

アンベードカルのこの本で、仏陀が言わんとしたことは、人は死ねばその構成要素に分解するが、構成要素自体は不滅で、他のモノとして永遠に地上にあり続ける、と。

これ、自然科学の解釈となんら矛盾しない、アタリマエの話です。人体を構成する原子、人が死んだからといって消え去るわけではない。炭素原子の大部分は炭酸ガスとして大気中に放出され、その一部は、動植物の体を構成するわけですね。

原子量12の炭素原子、12グラム中の原子の数は6に0が23個付いた数。ものすごい多数の炭素原子が人の体の中にある。このため、たとえば、かつては仏陀の体の一部であった炭素原子が私の体の一部である、そんな確率も非常に高く、多分、数個は入っているはずなのですね。

仏陀は霊魂の存在を否定し、ココロが存在するだけであると説きます。ココでいう霊魂とは、人の肉体とは独立な、超自然的存在、死ぬとそいつが、ふわふわと、人体を出てどこかに行く、という奴。ココロとは、人の体を使って、考えたり、感じたりする奴、人が死ねば、その働きは停止するのですね。

現代の自然科学では、ニューラルネットワークの働きにより人の精神活動が行われていると考えられています。そこには、超自然的存在があるわけではなく、物理的作用で遂行される精神活動のみが認められているのですね。

もちろん、心のケア、などは現代の科学でも重要な課題ですから、ココロを云々することは、なんら非科学的なことじゃない。

と、いうわけで、仏陀の教えは、少なくともアンベードカルによれば、現代の自然科学となんら矛盾することのない、というより、優れて科学的な宗教である、ということなのです。


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