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『田舎者ブッシュ』対『哲人小泉』!?

寝ながら学べる構造主義内田樹著、文春文庫はお奨めの一冊です。結構面白い本、ということで、先週は、この本を何度か読み直していたのでした。

まず、構造主義なんですけど、このブログに私が書いていることとほぼ同じ考え、つまり、絶対的な正義などない、という考えです。もちろん、もっと深い世界がありまして、つまるところ、人が正しいと考えているのは、その人が暮らしている社会によって、そう考えさせられている、まあ、そんなことを、さまざまな分析を通じて明らかにしているわけです。

ちなみに、私の好きなレヴィ=ストロースも構造主義の人、そういえば、「悲しき熱帯」の帯に『構造主義の原典』などと書かれていたな。

ま、そんなことはどうでも良いのですが、ちょっとびっくりしたのは、構造主義は、今では常識、なんてことが書いてあるからなのですね。

そりゃ、哲学者の間では常識かもしれない。でも、今の世界、絶対的正義を振りかざす人が多いのも事実だし、それで世の中、動いてしまっているのですね。だから、悲劇が絶えません。

まあ、ブッシュはテキサスの田舎者で、最近の哲学界の常識とは無縁である、それだけなら良いのですが、アメリカ人のかなりの部分が、同じ考えなのですね。何しろ、アメリカは民主主義の国、つい最近、大統領選挙があったばかり、構造主義、とても、米国の常識になっているとは思えないのですね。

構造主義、この思想自体、私がこれまでここに書いてきたこととほとんど変わりません。でも私は、これが常識になっているとは、とても思えないのですね。

まあ、哲学者の常識は、それで良いのかもしれませんが、世間一般の常識になってもらわないと困ります。まあ、無学な人々が知らないのは仕方がないとしても、世界各国の政治指導者までが、この「常識」に無知じゃあ、困るのですね。

あ、小泉さんは、多分、構造主義の人。何しろ彼のスローガンは「構造改革」だし、人生色々、会社も色々などと言われたこともありました。これって、構造主義!?

しかし、絶対的正義がない、世界には色々な考えがある、これは良いのですが、絶対的正義を信じることができないと、社会的行動に出にくいのですね。

サルトルの実存主義や共産主義運動、これが社会運動として力を持ったのは、絶対的正義を信じることができたから。それがなくっちゃやりにくい。絶対的正義は存在しない、という社会運動、それ自体も絶対じゃあない、そんなことでは、なかなか他人を動かす力、発揮できそうにありません。

と、いうわけで、世界の悲劇を横目に、「ま、こんなことは常識だよ」などという哲学者、これにも困ったものなのですね。やはりどこかに正義を線引きしないといけない。で、ここのブログのHPに載せた「悲しきネット」その試みではあるのですね。

この題名、悲しき熱帯のパクリでして、そのココロは、熱帯のジャングルまで行かなくても、興味深い民族がネットに生息している、そこには、開発が進んで追い立てられる先住民族だって、いるのですよ、なんて背景があって行った研究、ネットの喧嘩の分析なのですね。

結局のところ、ネットの喧嘩の原因も文化の違い、環境の差が文化を決める、東にUNIXのヒトあれば、西にはMS Windowsのヒトもいて、MAC使いも現れる。それぞれが微妙に異なる文化を持ち、自分の文化が絶対正しいと信じて争う。その紛争の構図は、未開な民族紛争と同じだし、米国とイスラム教徒の対立にも通じます。

でも、ネットの世界には救いがある。なんだかんだといったところで、皆さん、インターネットを通じてやり合っているのですね。インターネット、自然にできたものではない。人類の英知がこさえたもの。そこに異なる文化が接続できる、そのためには、プロトコルが合意されているのですね。おまけに文化が違うといっても、きっちりコミュニケーションできている。だからこそ、ネット経由の喧嘩でも、本気の喧嘩ができるのですね。

戦争が、肉体の壊し合いという、物理的な関係であるのに対し、ネットの喧嘩、優れて知的な対立です。で、知的な対立、一般社会にもある。

イラク戦争の場合、知的な対立、国連であったのですね。でも、合意に至らず、一部の国が突っ走ってしまった。錦の御旗、大量破壊兵器も、結局は、なし、ということに、、、嘘つきブッシュに、日本を含む数カ国が騙されてしまった。

この戦争に関しては、何をかいわんや、との感強いのですが、嘆いてばかりいても始まらない。インターネットの社会学、ひょっとすると、正義もイロイロの現代社会、その対立を救うヒントになるのかも、、、これは、少し考えなくちゃいけませんね。