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神道とキリスト教

窓を開けると、鶴岡八幡宮の群集を整理する、警察官のアナウンスが聞こえてきます。

毎年正月になると、神社に、人達はなぜかくも集まるものでしょうか?

毎年来ているからといった、単なる習慣、ないし、惰性もあるでしょう。しかし、多少なりともご利益があると考えて、神社にお参りする人達が多いのではないでしょうか。

そうだとすると、日本人も、全くの無信教というわけではなく、多少なりとも、神の存在を感じているということになります。

先ほどのニュースでは、皇居で一般参賀が行なわれたと伝えています。このシーン、サンピエトロ広場でローマ法王を迎える人達の姿と、非常に良く似ています。

ただ単に、有名人の姿を見たからキャーキャー騒いでいる、という人たちだっているでしょうけど、その存在に価値を認め、あり難く感じている人も多いのではないでしょうか。

天皇家は、日本の象徴(つまり、実権を持たない王家)という憲法上の位置付けの他に、神道の中心という意味もあり、そういう点でもローマ法王とよく似た位置付けにありますね。

カトリックと神道は、もちろん異なる宗教です。でも、その相違は、運営する組織の相違と、表現形式の相違であって、神と人間の関りにさほど大きな違いはないようにみえます。

組織の類型も、基本的なところでは同じだし。結局のところ、宗教の違いというものは、それほど深刻に考える必要はないのではなかろうか、、、

鶴岡八幡宮に集まる群衆を整理する警察官のアナウンスを聞きながら、そんなことを考える、ぽかぽか陽気の三が日の昼下がりです。