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言葉を生み出す本能

言葉を生み出す本能(上) (下)」という本(NHK Books)を読み返しています。

言葉は他人とコミュニケーションする過程で習得される、ってこの日記に以前書きましたが、この本には、文法の基本的な部分は人が生まれながらにして持っている、という主張が述べられています。

その根拠として、他の人達と隔絶された種族にも、外界と類似した文法を持つ言語があるという事実、異なる言語環境に移された人々の間に、言語が自然発生するという事実、などが挙げられています。

これらは、ちょっと弱いようにも思えるのですが、(言語は世代間で伝承されるものであり、それらの人々と外界の人達との間に、古い世代にも言語的コミュニケーションがなかったということは立証できないし、異言語環境に移された人も、以前は自分たちの言葉を習得していたわけですから)人が生まれながらにして、言語を理解するための基本的ニューラルネットを持っている、という主張は、恐らく正しいであろう、と私も考えています。

実は、人が生まれながらにして持っているニューラルネットワークって、いっぱいあります。赤ちゃんがミルクを飲んだり、泣いたりするのも、ニューラルネットあってのことで、視覚がモノの形や動きをとらえるのも、そのように接続されたニューラルネットが必要ですからね。文法の理解は人間だけができるので、そういう意味での特殊性はありますけど、取りたてて不思議なことではありませんよねえ。

ヒトだけが生まれながらにして持っているニューラルネットって、恐らく、文法理解以外にも、種々あるのでしょう。ホームページに載せたレイヤ7では、そこら辺のことを、ニューラルネットの初期接続として、意識する機械を作る場合にも、何がしかの初期接続を準備する必要があるということを前提としています。相生教授がはぐらかして、石黒がついに把握できなかった部分ですね。

文法を理解する本能の存在は、ヒトが言葉を他者との関係で獲得するという話と矛盾するものではありません。他者の言葉を理解できる能力、これは、ヒトが生まれながらにしてもっているということですから、ヒトが視覚や聴覚を持っていることと、それほど大きな違いはない、と思うのです。