米国のシカゴで、シカゴ学派と呼ばれる社会学者の集団が誕生したのは、その都市問題が深刻になったという背景があったと言われてます。アル・カポネ、なんてのもシカゴの人(ギャング)だし、、、
シカゴ学派の代表的な社会学者、ワースの「アーバンライフスタイル」から、ちょっと引用しますね。
都市生活様式の明確な性格は,社会学的には,第一次的接触と第二次的接触との交替,親族の紐帯の弱化,家族の社会的意義の減少,近隣の消失,および社会連帯の伝統的基盤の崩壊にある,とこれまでしばしばいわれている.
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一個人としては事実上無能であるという段階に落されるから,都会人は同じような利害をもつ他人とむすんで自己の目的を遂げるための集団を結成するよう努力せざるをえない.人間のもつ欲求や利害と同じ程度に,多種多様な目標をかかげる自発的組織がおびただしく繁殖する原因はこれである.
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都会人は多くの場合自発的集団の活動を通して自分のパーソナリティを表現し・発展させ,地位をかくとくし,人生の経歴となる活動分野を決めることができる.しかしこれらの高度に分化した諸機能が原因となって生じる組織的な枠組はそれ自体,パーソナリティの統一性と統合性の保証とはならないことは,容易に推量されよう.個人解体,精神障害,自殺,非行,犯罪,背徳,無秩序などは,この事情のもとでは村落コミュニティ以上に普遍的であるとみてよい.
この記述、昨日紹介した、ポパーの言う「抽象社会」とそっくりでしょう。大都市を行きかう人々は、互いに、アカの他人であり、親密な関係なんて普通はない。その結果、都市に生きる人たちにさまざまな問題が生じるのだとワースは主張します。
だけど、大都市の中に、親密な人間関係が生まれ得ないか、といえば、そんなことはない。そりゃ、中には孤独な人もいるでしょうけど、気の合う仲間を見つけて、群れる人だっているんですね。
その集団が、大都市を覆い尽くすということはないんですけど、全体と部分での人間関係、性格が違ったっておかしなことではない。
要はやり方次第、ってわけです。
そのやり方を見つけるのが、さしあたりの課題ということになるのでしょう。