広くは、一定の場所に集まって、互いに関係する動植物の集団、なんて意味ですけど、普通には、「一定の地域に居住し、共属感情を持つ人々の集団。地域社会。共同体」なんて意味で使われるのでしょう。ここで、「共属感情」なんて難しい言葉が出てきますけど、他の人と一緒に、その集団に属してるんだ、という感情、仲間意識、みたいなものでしょうね。
広辞苑の記述で面白いのは、もう一つの意味が書かれていることで、「個人を全面的に吸収する社会集団。家族・村落など」なんてのが別に書かれてます。なんか、動植物の集団に近いですけど、この用法には、違和感がありますねえ。
というわけで、ここでは、上に書いた二つ目の意味、「共同体」としてのコミュニティについて考えることにしましょう。
まず、広辞苑を含めて、コミュニティの条件に地理的な近さをあげる例が多いのですが、ここでは、ネット上でのコミュニティも含められるように、コミュニケーションの密度が高いこと、という条件にまで緩めたいと思います。で、コミュニティの第一の条件は、互いに接する機会が多い人たちの集団、でして、これを「近接性」、なんて言葉で表したりします。近接性を裏返した形の
「我々意識」という感情でこの条件を言い換えることもできます。つまり、その集団のメンバーはそこに属しているという意識を持っているということですね。
コミュニティの第二の条件は、依存関係でして、コミュニティのメンバーは、コミュニティに依存している、何かをそこから得ている、ということです。何の意味もなくコミュニティに属する、ということは、あまりないのでしょう。そこに属することによって、なにか美味しいことがあるから属しているんですね。
第三の条件が、役割意識でして、メンバーはコミュニティの中で何らかの役割を果たす、その役割を、メンバーそれぞれが、個々に意識してるって訳です。これは上の条件と、ちょうど逆の話でして、コミュニティがその人を受け入れる理由、ってわけですね。何の役にも立たない人を、コミュニティが受け入れる理由がない。メンバーはそれを理解して、自分の役割を果たすことによって、コミュニティに所属するんですね。
まあ、この3つの条件が、大方の社会学者が掲げるコミュニティの条件です。だから、コミュニティを作り出そうと思ったら、この三つの条件がクリヤされなくちゃいけない。
連絡を密に保って、仲間意識を高めなくちゃいけない。
メンバーが、そこに入ってよかったと思える、意味がなくちゃいけない。
それぞれのメンバーがその集団の中で、何らかの役に立たなくちゃいけない。
そうしたことを、メンバーの一人一人が意識したとき、その集団はコミュニティとして生き生きと活動できるのでしょう。
地方自治体などのコミュニティ作りは、どちらかというと、箱モノ、コミュニティセンターなんかこさえればどうにかなる、なんて思ったら大間違い。コミュニティ作りでもっとも大事なことは、そこに集う人の感情なんですよ~!!
人はコミュニティに属することで、何らかの役割を果たします。これは、その人のアイデンティティ確立のために、大きな役に立ちます。「会費を払う」なんて役の立ち方じゃ駄目ですけど、そこで何らかの仕事をする、それに他のメンバーが依存する、そうした過程を自分自身意識することで、自分というものをはっきりと保てるんですね。
役割を果たす。面倒なことかもしれないけど、情けは人のためならず、回りまわって、自分自身にも、良い効果が必ず表れるってモンです。