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今日一日は読書の秋、ダヴィンチ・コードも面白い。

本日は、朝から読書、まずは「ポパーとウィトゲンシュタインとの間で交わされた世上名高い10分間の大激論の謎」、これ、前にも紹介したことがあるのですけど、読み直しました。この長い題名、原題を生かして「ウィトゲンシュタインの火掻き棒」とした方が良かったような、、、これじゃあ、なんか2時間ミステリの番組名。

私はポパー派、開かれた社会を理想とする者なのですね。

ウィトゲンシュタインもそうなのですけど、論理の精密さを追い、言葉の論理性を追求する類の議論、私の印象を一言で言うならうざったい。うん、最近は便利な言葉がありますね。

言葉というもの、それぞれの人が、それぞれの人が持つ知識で解釈がなされるもの。もちろん、コミュニケーションが成り立つのは、その知識が共有されているから、文化・常識を共有しているからなのですね。でも、その常識、一つでもないし、絶対正しいわけでもありません。

もちろん、学問が成り立つのは、人類全体で共有できる常識を目指すから、まあ、限りなく真実に近い姿を目指している、というのはあるのでしょう。

でも、特に言葉を解釈するときの知識には、更にその場の状況、話の流れなど、とても普遍的な議論の対象にはなり難い要素が多分に含まれているのですね。そんなもの、いうなれば言葉尻、を捉えて議論しても始まらないでしょう、というのが、私の偽らざる感情。一方のポパーは、真理も相対化してしまう。私の世界観に、きわめて近い立場なのですね。

さて、お茶の時間を過ぎてから読み出したのが「ダヴィンチ・コード(上)」。基本的に私、流行りものは好きじゃないのですが、ちょいと読み出すと面白い、特に宗教を冷静に解釈している記述に好感が持てますね。シャーない、明日は下巻を買ってくることにしよう。こちらの感想は、下巻を読み終えてから、、、