基本的な論調は、今のニッポン、二極分化が始まっている。稼ぐ人と、そうでない人の格差が広がっている。これをどう考えるか、というのがこの番組の問題意識です。
で、評論家の何が問題か、といえば、この二極分化、生まれながらにして決まってしまう、という主張でして、金持ちはいつまでも金持ち、そうでない人はいつまでも駄目、だと。
これ、確かにそういう傾向はある。でも、それを社会が強制しているのか、といえばけしてそういうことは言えない、と私は思うのですね。
ローマ時代の為政者の関心は、大衆に「パンとサーカス」を供給すること。つまり、生存を保障し、人生を楽しく送らせること、人々の物質的、精神的な充足が、為政者の民衆に対する責務、であったわけです。
で、今のニッポン、フリーターが増えた、と問題視されてますが、フリーターでも食える。そんな豊かな社会が、フリーターが増える理由でして、そのこと自体は悪い話ではない。で、そんな生活がつまらないか、といえば、面白いものはテレビが供給してくれる。パンとサーカス、今の日本では、完全に保障されているわけですね。
では、それでよいのか、ということになると、それだけでは、日本の将来はない、と思うのですね。
お隣の中国、急速に工業化を進めています。その他の国々でも、いずれ同じことが起こるでしょう。国際競争、激化する方向でして、これを防ぐ手立てはない。競争に勝つしかありません。
で、どうやって勝つか、といえば、豊かなニッポン、低賃金労働では勝てるわけがない。無理にやれば、国民は不幸になる。ここは、頭を使う、知的分野で勝つしかないのですね。
そのためには、日本人の知的なレベルを上げるしかない。ここで知的、といいましても、さほど高尚なものに限られるわけではありません。工員の、腕、とも言われる暗黙知、ちょっとした工夫なども、知っているといないとじゃあ大違いなのですね。
で、現在の日本の大きな問題は、一時的労働者の増加、知恵の蓄積、が阻害されます。これは、働く人にとっても不幸なことだし、日本の産業にとっても大きなマイナス。これまでは、不況ゆえの緊急避難として、人件費削減を第一目標に掲げた日本企業ですが、今後は、正社員を増やして、技術、ノウハウを継承できる体制を固めるものと思われます。
もちろん、そんな中でも、単純作業は必要、一時的労働者は引き続き残るわけでして、稼げる知的労働と稼げない単純作業の二分化は引き続き残るはずです。で、どうすれば、稼げる勝ち組になれるのか、という問題が引き続き存在するわけです。
その答えは簡単。頭で稼ぐ。それ以外には、海外との賃金格差、埋める手立てはありません。そして、知的分野で勝つために必要なものは、考える力、知識でして、これは勉強するしかない。
私がこれまでいろいろなところで仕事をする過程で、周囲の人を、見てきたところでは、勉強する人としない人、その差は、きわめて顕著にありました。
かつての企業、さしあたり大失敗をしない限り、年功序列で給料が上がる、業務に役立つ本を読んだりするのは、個人の経済にはマイナス、本代、無駄だったのですね。勉強する意味は、これまでは、プライドとか責任感。美学が経済学に優先する人だけが勉強した。
でも、これからは、成果主義の時代、出来る人と出来ない人に経済的にも差を付ける時代。勉強することは、大抵の職場で、無駄にはならない、そんな社会になってきたのですね。
子供は親の背中を見て育つ。駄目な親なら、子もだめになる。ぐーたら過ごす親を見て育てば、子供もぐーたらになる。そういう意味では、勝ち組負け組、世代間で継承されてしまいます。
でも、豊かなニッポン、貧しさゆえに勉強できない訳ではありません。本が買えないはずがない。その上、今はネットの時代、見知らぬ人々が相互に情報を交わすことが出来る時代です。子供といえども小さな世界に縛られず、様々な人の考えを、知ることが出来るのですね。要は当人のやる気の有無、その気になれば、どんな人でも自らの知的能力を磨けるのですね。
つまらないバラエティー番組を見て一時の憂さを晴らす、そんな人生も悪いとは言わない。でも、考える力のある人間だったら、それを磨く、そうすれば豊かな未来が広がります。
学校の勉強は、大抵は、つまらない。そういう風に、わざわざこさえているようですらあります。でも、クイズなら面白いモノもあるのですね。推理小説にしろ、落語にしろ、知的な興奮がその土台にあるわけでして、実は、考えることは、本来は楽しいことだったのですね。
そんな楽しみを通じて己を磨く。そうすることが、趣味と実益を兼ねる。これからは、そんな社会になっていくはずでして、そうすることが日本の競争力を維持し、国も発展する、三方一両得の世界でもあるのですね。まあ、嫌だ、という人に、無理は申しませんが、、、