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ニュースの重さ。東横イン事件に思うこと

東横インが身障者用の設備を無断で宿泊施設などに転用した、というニュースが大きく報じられています。 この社長さん、まさかこれがこんな大きなニュースになるとは思わなかった、と驚いていたのですが、私も、この事件に対する報道の扱い方には、疑問を抱きます。たとえば、NHKなどはトップニュースで報じたのですが、なんだかなあ、と思うのですね。

東横インのこの行為、無論、良いことではないし、摘発されても仕方のない行為ではあるのですが、その結果どれほどの社会への損害が生じているというのでしょうか。それが重大な犯罪行為であるなら、東横インの関係者に司直の手が及びそうなものですが、今のところ、そんな話にもなっていません。 同じ偽装でも、姉歯のケースとは全然重みが違うのですね。

悪者を探し出して、寄ってたかって叩こう、という最近の風潮には、少々危険なものを感じずにはいられません。学校などで流行っている、いじめ、と同根の現象だと思うのですね。

この様な考え方の前提には、絶対的な正義が存在する、という暗黙の前提があり、善悪の二元で世界ができていることが前提となっているのですね。 でも最近の大問題は、正義がどこかへ行ってしまったこと。世界には無数の正義が存在することなのですね。

で、矛盾する正義の間の調整、なんてことが、社会の大きな問題になるわけです。

このブログのトップページにおきましたミステリー「エミちゃんの事件帳(  )」に出てくる探偵たちも、実は、軽微な違法行為を日常的に行っているのですね。 ミステリー、探偵は絶対的な正義を振りかざす場合が多いのですが、ここにおきましたミステリーは、少々、へそ曲がりなリアリズムを追求しておりまして、ま、世の中そんなモンじゃないよ、というある種の主張が込められております。

で、些細な犯罪を犯す探偵たちは悪人で、社会的に葬り去られるべき存在か、といえばそんなことはない。彼らはその能力を駆使して、より大きな悪を暴きだすわけですね。探偵たちの犯す犯罪は、そのために犯すリスクの一つであって、せこい経費の水増しなり脱税なりの不正行為も、社会的に意義のある調査会社を存続発展させるための手段であって、全体としてみれば、彼らの存在はより良い社会を作る上で役に立っている、というわけです。ま、屁理屈、と言われる余地は、多分にあるのですが、、、

結局のところ、探偵には探偵の正義があり、警察には警察の正義がある、というわけでして、それぞれの行為の善悪の重さ、このプラスマイナスを互いにすり合わせるというのが、大人の関係、実務の世界、であるわけですね。

で、マスコミにもマスコミの正義がある、ということなのでしょうが、どうも最近の報道ぶりを見ていると、首を傾げたくなることが多い。東横インのケースもその一例である、と思うのですね。

ジャーナリズムの世界で確固たる地位を築いているイギリスのBBC、短波ラジオで流れている国際放送の伝えるニュースを聞いておりますと、そのニュースの重み付けには明白な序列が見て取れます。

BBCが重きを置くニュースは、事件、事故などであれば死者の数が多いこと、特に、政治に絡んで死者が出ている場合は大きなニュースとなります。この基準から考えると、今回の東横インのケースは、あまり大きく報道する価値はない、という類のニュースです。

私が密かに推定している、国内メディアのニュース重み付け基準、叩きやすい悪者を叩け、に照らせば、これはきわめて重大なニュース、のですが、、、

BBCの報道基準が絶対正しいのだ、とは申しませんが、たとえば、最近出ました週刊文春の記事本当に自殺なのか野口“怪死”と堀江の“闇”などは、もしそこに書かれている(匂わされている)疑惑が事実なら、BBC的には重大な出来事、マスコミも、自社の利害得失にとらわれず、十分に調査をすべきことだと思うのですね。

でも、今のところこの一件、ほとんどニュースには取り上げられていません。なぜでしょう? さしあたりホリエモン一派を血祭りに上げればそれでいいや、なんて考えているのだとしたら、ひどい話。マスコミは自らの正義を問い直さなければいけません。