今朝の朝日新聞書評面に、珍しく、岩波文庫版のアインシュタイン著相対性理論の紹介がされていました。今年は相対性理論100周年、なのですね。思えばこの100年間、いろいろなことがあったものです。ま、100年もあれば、当然のこと、かも知れませんが、、、
さて、このブログでは、虚数時間の物理学というテーマを追いかけ、アインシュタインの特殊相対性理論と同じ結果は、時間が虚数的に振舞う、との修正をニュートン力学に対して施すことによって得られること、その結果として、マクスウェルの電磁理論とも矛盾しない物理学体系が得られることを説明してきました。
こういったことを始めた理由は、ニュートン力学の否定という物理学会の大事件が、20世紀初頭の思想界にも大きな混乱を与えた、ということがフッサールの現象学を読み解くにつれて浮かび上がってきたのですが、私には、相対性理論はニュートン力学に対して致命傷を与えた、というほどのものでもないのではないか、と思われたことによります。
色々と考えてみると、特殊相対性理論のツボは、我々が生きているこの空間は、3つの空間軸に1つの時間軸を加えた4元空間であって、時間軸は虚数的に振舞っている、ということなのですね。
で、時間軸と空間軸を別物とみなす古いニュートン力学の考え方をそのまま踏襲すれば、移動する物体上の時計は遅れるし、進行方向の長さは縮んで見えます。しかし、これは、空間が3次元であると考えるからそう見えるだけの話であって、等速運動する座標系への座標変換が回転変換であることに気付きさえすれば、座標変換に伴ってそれぞれの成分の大きさが変化するのは当たり前の話。何の不思議もないわけです。
しかしながら、特殊相対性理論の発表後、このような説を唱えたのは、若くして夭逝したミンコフスキーだけでして、多くの俗流科学評論家は,時間の遅れや硬い物体の伸び縮みを、面白おかしく解説したものだから、物理学は、なにやらおどろおどろしいものになってしまったのではなかろうか、などということを、私は、つらつらと、考えていたわけです。
まあ、そういった背景があって手に取りました、アインシュタイン著「相対性理論」ですが、やってくれます大先生。これでは、物理学がおどろおどろしいものになるのも、致し方ない、といったところでしょう。
「動いている物体の電気力学」という表題で発表されましたアインシュタインのこの論文、第I部「運動学の部」と、第II部「電気力学の部」から構成されておりまして、第I部は、同時刻の定義、長さと時間の相対性、併進運動する座標系への変換、動いている剛体と時計に関する変換公式の物理的意味、速度の合成則、と続きます。
このような論理展開は、私が怪しげにみておりました俗流科学評論家の話の展開と同じです。これでは、普通の人が見て、なにやら理解しがたい理論である、ということになるのもうなづけるのですね。
今から考えますと、光速一定の原理から、ローレンツ変換が併進運動する座標系への変換に対して成り立つことを説明するのが判り易いでしょう。
欲を言えば、これが時間は虚数的に振舞うとしたときの回転変換に他ならないこと、4元の時空を導入し、特に速度が関連するベクトルは4元空間の中で扱わなければいけないことに論を進めれば、特殊相対性理論に関わるおどろおどろしい部分はすべて消え去るのですね。
アインシュタインが特殊相対性理論を発表したときの世界の常識はニュートン力学であったわけですから、その修正、という形で論を進めるしかない、という事情もあったのでしょう。
しかし、この本を、「判り易い」とする書評はどうでしょうか。4元空間が常識となりました現在では、もっと判り易い説明はいくらでもできるはずです。技術史的には、アインシュタインの論の進め方も大きな価値があるでしょうが、今日の物理現象を理解する上では、もっと判り易い説明が必要なのではないか、と思うのですね。で、物理学の教科書も、かなりのものが、アインシュタインを踏襲しておりまして、これにつきましても、何とかならないものか、と思う次第です。
虚数時間の物理学、まとめはこちらです。最新のまとめ「虚数時間とファインマン氏の憂鬱」も、ぜひどうぞ。