先ほどのこのブログで、西田哲学の解析を試みる必要がある、などと書いてしまいましたので、早速、梅原猛氏が「神殺しの日本」の中で引用しておりました、西田幾太郎著「思索と体験」を読んでみることにいたしました。
この本、税別660円とお買い得の岩波文庫版は1980年の第一刷と比較的新しい(とも言えませんかね)のですが、原文を西田幾太郎氏が発表されたのは大正年間、1912年から1926年のことでした。
この大正年間といいますのは、20世紀の初頭にあたりまして、物理学の世界では相対性理論と量子力学が登場して、長い間絶対的真理と考えられていたニュートン力学を仮説の地位に落としてしまいましたし、哲学の世界ではフッサールが活躍して現象学が基礎を確立した、まさに思想界激動の真っただ中の時代であったのですね。
今の時代でしたら、様々な情報は瞬時に世界を駆け巡ります。でもその昔、世界の最新情報は、日本では、日本橋丸善の洋書売場にしかなかった、といわれます。で、学会の重鎮は、丸善の書棚に並んだ専門領域の洋書を買い占めて情報を独占、これを小出しにすることで日本における自らの地位を保った、などということがまことしやかに語られています。
まあ、そんな時代ですから、フッサールの現象学に関しても、西田氏の理解は曖昧。梅原猛氏の引用しました西田論文「現代の哲学」の初出は大正5年3月『哲学研究』創刊号に掲載されたものですが、この文庫版には、昭和12年12月付けの西田氏自身による注記が、以下のように付されています。
この時代は始めてフッサールが紹介せられた頃にて私のフッサールの理解は極めて膚浅である。
と、いうわけで、西田哲学は「善の研究」はともかくとして、哲学の根幹に関わる部分に関しては、現段階で議論しても致し方ない気がいたします。と、いうか、ここで西田論文の問題をあげつらうこと自体、フェアなやり方ではないでしょう。
でも、この論文で紹介されている「ロマンティシズム」は参考になります。このような思想は、フッサールの現象学の論理形成の背景でもあるわけで、ここでちょっと紹介しておきましょう。
まず、これ以前の支配的な哲学が「啓蒙哲学」でして、絶対的な真理が存在し、学者はこれを探求する一方で、人々を啓蒙するのだ、という考え方です。これは、物理学におけるニュートン力学に対応いたしまして、宇宙を支配する絶対的な物理法則の存在を人々は信じていたのですね。
これに対して反旗を翻したのが、自然科学の世界では相対性理論と量子力学、芸術や思想の世界ではロマンティシズム(人間性の復権、とでも言いましょうか)、というわけで、西田氏はカントをもって思想界におけるロマンティズムの嚆矢であるとして、次のように書きます。
カントは当時の数学及び自然科学を信奉し、すべての外界的権威をすてて内面的理性にすべての価値の根底を求めようとするのは啓蒙思潮と同一傾向であるが、彼は深く知識の根底を反省して数学や自然科学的知識のよって立つところの根底を明らかにした。……カントに従えば、われわれの客観的知識は純粋統覚の綜合によって成立するのである。
主観は客観に依存するのではなく、客観は主観に依存するのである。勿論カントの我は心理的我ではない。個人的主観ではない、先験的主観である。存在的意識ではない、価値意識である。……カントは,これによって知識の根底を明らかにすると共に、その限界を明らかにし、自然科学的法則以外に道徳的法則の根拠を打ちたてようとしたのであろう。(漢字と送り仮名は現代風に改めました)
と、いうわけで、絶対的客観から主観に従属するものとしての客観に、客観の定義を切り替えた、というのですが、これはフッサールも行っていること。フッサールの現象学は、これを少々厳密に行おうとしたことと、客観の礎を、他者との共通概念である、相互主観性(間主観性)の上に置いた、というところです。
そこまで考えますと、前のブログでご紹介いたしました梅原猛氏の現象学批判は、少々おかしいのではないか、という気がいたします。お年ゆえ、時間を遡ってしまった、ということでしょうか?