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建徳は怠るが如し。「老子」を読む

たまには俗世間のわずらわしさを離れて、中国三千年の知恵に学ぶことといたしましょう。と、いうわけで取り出だしましたる一冊は、「老子―無知無欲のすすめ」です。

1. なぜ建徳は怠るが如しか

この本、世界を裏返してみるような、知的刺激にあふれた本なのですが、表題に掲げました「建徳は怠るが如し」、これにはなるほどと、思わずうなずいてしまいます。その意味は、「確固とした徳のありさまはだらけてたるんでいるかのようである」ということでして、この言葉は同書40節にあるのですが、63節を読みますと、さらに明確にその意味が語られるのですね。つまり、こういうわけです。

難(かた)きをその易(やす)きに図(はか)り、大をその細(さい)に為す。天下の難事は必ず易きより作(お)こり、天下の大事は必ず細より作こる。是を以って聖人は、終(つい)に大を為さず、故に能(よ)くその大を成す。

まず、大問題というのは、小さな問題を放置した挙句に発生するものですから、問題が小さなうちに手を打てば、大きな仕事をしなくても、結果的に大仕事をしたことと同じ結果になるのですね。

2. 忙しい人は無能な人

で、「建徳は怠るが如し」というのはその究極的な姿である、と私は思います。と、いいますのは、小さな問題は誰も、手を打つ必要などない、と考え勝ちでして、そんな問題に対してちまちまと手を打っている人をみれば、サボっているように見える、というわけです。

まず、大問題の火消しにおおわらわの人をみれば、実によく働いている人だ、と思うかもしれませんが、それが、問題が大きくなるまで放置した結果そうなったのであれば、良く仕事をしているどころか、大失策ですらあるのですね。

これに対して、問題を小さなうちに対処する、理想的には、誰も問題だとは思わないうちに手を打ってしまえば、問題すら起こらないのですから、ベストの方策。誰にも仕事をしているとは思ってもらえないかもしれませんが、そういうやり方が大きな成果を上げる、ということは明らかでしょう。

まず、結果を見れば一目瞭然、というわけでして、仕事ぶりを見るのは、間違いの元、であります。

3. JAL経営陣の大車輪

最近の週刊朝日に出ております日本航空の記事などを見ますと、ここの経営陣の激務には頭の下がるばかりなのですが、何でこうなるまで放置してしまったか、との思いも同時に沸き起こるわけでして、まず、これまでの日本航空の経営陣に建徳の人が不在であったことを如実にあらわしているのではないか、という気がいたします。

早い話、旧幹部をリストラすることは、日本航空におきましては、まことに当を得た経営戦略である、というわけです。徳なき者は去れという言葉は、企業経営に携わる人に対しての鉄則。これを忘れては、会社組織は大いに乱れ、企業経営が傾くこと、必定であります。まあ、日本航空に関しては、いまさら言うまでもないことですが、、、

その他、5節にあります「多言は数々(しばしば)窮す」なども、かつての雪印の社長の「寝ていないんだ」の一言が思い出されまして、まことに「老子」の一冊、世の組織経営に携わる人には必読の書物ではなかろうか、と思う次第です。

4. 利器多くして国乱れるか

ただこの本、一ヶ所だけ気に食わないところがあるぞ。

民に利器多くして、国家滋々(ますます)昏(みだ)れ、民に知慧(ちえ)多くして、邪事滋々(ますます)起こり、法令滋々(ますます)彰(あきら)かにして、盗賊多く有り。

これはちょっとおかしいでしょう。

まあ、ピストルの類が出回りますと凶悪犯罪も起こるでしょうし、振り込め詐欺などは悪智慧のなせるわざ。法令は犯罪が起こるから必要になるわけで、こちらは因果関係が逆のような気がいたしますが、法律があれば裏をかこうとする人間が出てくるという一面もあるわけでして、必ずしもまちがいではありません。

でも、普通に考えれば、パソコンや携帯電話などの便利な道具は大いに使えばよいし、人々が智慧をつけることは、一般論として正しいはずで、この文章を文字通り受け取ることは、現在では誤解を招くはず。

まあ、老子の教えは国家を治める立場の人に対するものであって、当時の中国の政治体制は民衆を押さえつける、ある種の独裁国家(今日の中国でも大して変わらないような気もしますが)であったことを念頭に読むべき一文ではあります。

これに類する個所は、同書に散見されます。まず、書物を読む場合、すべてを受け入れる必要はないわけでして、つねに批判的精神を忘れず、取捨選択しながら読まなくてはいけません。同書もその類の本、ではあります。ま、自分が独裁者、ならその必要もないのですが、、、


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