本日は肩のこらない読み物、「金印偽造事件」を読んでみることにいたしましょう。
無理がある確率論
同書の趣旨は、九州志賀島で発見されたとされる国宝、「漢委奴国王」と刻まれた金印、が偽造品であると主張するもので、その主張自体は妥当であると思われます。これが江戸時代の好事家による偽造品であるとの疑いは、以前から根強く、きちんとした鑑定が必要であるとの同書の主張もまことにごもっともです。
しかし、この本、出だしからめちゃくちゃな理論を展開いたします。5平方センチしかない金印を37万平方キロの日本国土で発見する確率は700兆分の1である、と。
著者はこの数字をもって、金印が偶然に発見されたとは考え難い、ということを読者に印象付けようと考えたのでしょうが、こんな数字に騙される人は、おそらく少数派です。
第一に、穴を掘る際、5平方センチの穴を掘るなんてことはまずありません。第二に、日本の国土が掘り返されたのは1回だけではありません。それどころか、日本の国土は、そこらじゅうが掘り返されておりまして、何か埋まっていれば発見される確率は結構高いのですね。
著者の三浦佑之氏、この原稿をいくつかの出版社に持ち込んだけど断れ続け、幻冬社がやっと拾ってくれたという旨の記述をあとがきに記しておりますが、まず、大抵の編集者は、この確率論の部分を見て原稿を没にしたのではないか、という気がいたします。
しかし、この部分を除けば、なかなかに面白い、歴史ミステリーです。まあ、本の記述は事実として表現されているのですが、内容は想像力の産物であり、ミステリー、物語の域を出ておりません。科学的、あるいは学問的事実とするには根拠が薄弱なのですね。
ま、ミステリーと割り切れば、悪くない物語です。最初の確率論を外せば、ですが、、、
偽装したと疑われる人物
さて、ミステリーとなりますと、ネタばらしはご法度、なのですが、同書はミステリーと謳っているわけでもなく、ここでは内容に立ち入ってしまいましょう。
まず、金印捏造の犯人一味とされる漢学者亀井南冥とその仲間達(米屋才蔵と奉行津田源次郎)ですが、彼らが何らかのいんちきを行ったことは、同書の記述(主として先行研究の引用部)から、かなり高い確率で、事実であったものと思われます。
このいんちきとは、いずれかのルートから金印を入手し、それがあたかも、農民がたまたま掘り出したかのように装った、ということですね。その動機も、藩校立ち上げの御祝儀、といいますか、競争力強化という戦略的意図があった、とする同書の指摘が正しそうです。
しかし、その金印が本物であるのか、偽造されたものであるのか、また、偽造されたものであるとするとだれが偽造したのか、ということになりますと、まったく闇の中である、としか言いようがありません。そうなりますと、この本で語られた部分の半分は、信憑性が疑われる記述、ということになってしまうのですね。
まあ、ありそうなことは、こういう話ではないでしょうか。
ある夜、米屋才蔵の屋敷に、普段から懇意にしている、奉行の津田源次郎が招かれます。酒肴の用意された奥座敷で才蔵は、人払いをした上で、奉行にこう切り出すのですね。
「実は、面白いものを手に入れましてね」
桐箱から取り出した布包みをほどくと金印が現れます。
「ほほう、、、」と奉行。
「亀井先生にお見せしたところ、これは由緒あるものらしい、とのこと。しかし出所がはっきりしないことには具合が悪い、と申されておりまして、どこぞの百姓が地中から掘り出したことに出来れば、と、、、」
「それはお安い御用。亀井殿の藩校開校に花を添えること、拙者にも異存はござらん。諸事万端、手筈のほどはお任せあれ」
などというやり取りが、時代劇風に展開された、ということはありそうなことなのですが、さて、肝心の金印を才蔵がどのようにして手に入れたか、となりますと、これはまったくの闇の中です。
ありそうな筋書き
ま、ありそうなことをいくつか考えてみましょう。
第一に、同書が主張いたしますように、偽造されたものである、ということ。これには、同書主張どおり亀井南冥と米屋才蔵が共謀して偽造させた可能性もあるのですが、他の誰かが偽造したものが、好事家の間を転々として、最後に才蔵の手に渡った、という可能性も否定できません。
第二に、神社の宝物であったものが盗み出されたか神官が売り飛ばした、ということ。この場合、本物であった可能性もあれば、偽造されたものが納められていた可能性もあります。また、盗んだのが才蔵の息の掛かった者である可能性もあれば、他の者が盗み出して、市中を転々とした後に才蔵の元に来た可能性もあるのですね。
第三に、由緒ある家に代々伝わった物が、お手元不如意により売りに出された、あるいは盗み出された、という可能性もありまして、これまた売買が繰り返されたあげく、最後に才蔵が手に入れた、という可能性ですね。このケースでは、本物である可能性は俄然高いのですが、由緒ある家が偽物をつかまされていた、という可能性だってないわけではありません。
第四に、わが国の好事家の需要目当てに中国から輸入された、という可能性も否定できません。この場合は、偽造品である可能性が高いのですが、本物が日本に渡る前に中国人の手に落ちていた、という可能性も、全くゼロではありません。
朝廷保管品であった可能性
ここで、第三の可能性におきます「由緒ある家」というには恐れ多いのですが、これが朝廷から流出したという可能性もなきにしもありません。なにぶん、印面の文字が侮蔑的ですから、朝廷も扱いに困り、その存在を秘していたところで不思議はなく、何らかの事情でこれが外部に流出した、という可能性があるのですね。
この可能性は、亀井南冥に対立する朱子学者、竹田定良らの主張に近いのですが、彼らの主張する平氏滅亡の折にせよ、南北朝時代の混乱にせよ、少々時代が古すぎるように思われます。もちろん、壇ノ浦から志賀島まで海を流れてたどり着いた、なんて話は怪しすぎます。
ここは、江戸時代に入り、国学を学んだ朝廷高官が皇室秘匿の金印の侮蔑的な文言に難を付け、朝廷の経済事情と、古物収集が流行して高値を付けていた古物相場の動向も鑑みて、売却に踏み切った、というのがありそうな話です。
ありそうなシーンといたしまして、御所に呼びつけられた出入りの古物商に宝物管理の朝廷役人が次のように切り出します。
「これは、代々伝わる宝物やけど、使うわけにも行かず、人様にお見せするわけにも行かず、、、これが本当の、宝の持ち腐れ~」などといいながら、古ぼけた木箱を古物商の前に滑らせます。
「ははあ、、、」
中身を見た古物商、当時流行の古印の知識もありまして、後漢書東夷伝の記述も知っている。これは大変なものだと思うと同時に、その扱いにも窮して問い返します。
「これは、当然、出所を明かすわけには、いきまへんのやろな」
「そこのとこは、宜しゅう~」
朝廷放出の秘宝としての売却可能性をあっさりと一蹴された古物商、地金価格に毛の生えた程度の相当な安値で金印を手に入れるのですが、これを世に出すためには、古印ロンダリングが必要。これを行うには、京都、大阪、江戸でも危険、ということで考え付いたのが博多商人の米屋才蔵を起用することだった、などという話もありえないではない。この場合、亀井南冥がその価値を強調した結果、藩に召し上げられてしまったのは計算外、ではあるのですが、、、
結局のところ、金印は本物かも知れないし、偽物かも知れない、というわけです。
この本、題名を「金印偽造事件」としてだれが偽造したかに焦点を当てるよりも、「金印発見の謎」として、亀井南冥を取り巻く人々の人間ドラマとした方が、はるかに売り込みやすい本となったのではないでしょうか。
面白い内容を多々含むだけに、残念なことである、との印象を受ける次第です。