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ナンシー・アンドリアセン著「天才の脳科学」を読む

本日は、このところ入れ込んでおります科学哲学をお休みして、少し前まで集中的に読んでおりました脳科学関連の一冊、ナンシー・C・アンドリアセン著「天才の脳科学」を読むことといたしましょう。

1. 天才とはどのような人か

最近の脳科学は、観察機器の進歩により格段の進化を遂げておりまして、同書にもその内容が随所に出てまいります。しかし、これに似た内容は既に他の書物でおなじみですので、今回は脳科学関係の話題は省略、「天才」の部分に絞ってご紹介することといたしましょう。

まず、IQ知能指数)が高いことが天才の証明のような俗説がありますが、これは実証的には否定されているとのこと。創造的な人の知能指数は、120~130と、確かにふつうの人(標準は100)に比べると高いものの、ダントツに高い、というほどではない、といいます。

一方、性格的には特徴があり、「経験に対して開放的、大胆さ、反抗的、個人主義的、敏感さ、茶目っ気、忍耐強さ、好奇心の強さ、単純さ」などが挙げられる、としております。これは、常識的にもうなずけるところですね。

さて、問題は、「天才は気違いと紙一重」などといわれる問題ですが、精神病と創造性の間には確かに関係がある、と著者は主張します。そして、それがなぜ生じるかについて、上の、創造力ゆたかな人の性格に関連して、次のように説明するのですね。

第2章では創造的な人々に生じやすい性格的な特徴をいろいろと挙げた。そこでは新たな経験への開放性、あいまいさを受け入れる傾向、人生や世界に対して比較的先入観なしに接することができることなどを挙げておいた。

このような融通性の結果として、ものごとを新鮮に新しい視点から感じ取ることができ、それが創造性の基礎として重要なのだ。しかし同時にまた彼らの内的世界は複雑、あいまいであり、黒白のはっきりしない灰色が多くなる。疑問は多いが、明快な答えは少ない。創造性の低い人々は、親や教師や宗教上の指導者など上から言われたことに従い、条件に応じた反応がすばやくできるが、創造的な人々はもっと流動的な混沌とした世界に住んでいる。そして疑問をぶつけることが多すぎるとか、あまりに型破りだという批判や拒絶に出逢わざるを得ない。そのような性質から、鬱状態に陥ったり社会的に孤立感を深めたりすることになることがある。創造性の高い人は、他人の目からは変わっていたり奇妙だったりすることがあるだろう。あまり開けたままで生きているというのは、崖っぷちに生きているようなものだ。時には崖から墜落し……鬱病や躁病、あるいは統合失調症になるかもしれない。
……
また私たちは、創造的な思考がおそらく危険性のある精神過程により、つまり無意識のうちに脳内で連想が自由に飛び交うことにより起きるだろう――組織化される前には思考が一時的にばらばらに分断されなければならないだろうということを見てきた。そのような過程は躁病、鬱病、統合失調症などの精神病のさいに起きる過程と非常によく似ている。
……
脳内を飛び交う連想が、自己組織化によって新たな思考を生じたとき、その結果が創造である。しかし自己組織化が失敗したり、間違った思考を自己組織化させてしまうと、その結果は精神病だ。

と、いうわけです。創造性豊かな人間になるのも、危険と裏腹、ということですね。とはいえ、著者はその危険を省みる、などということはいたしません。

これにつきまして私の思いますことは、今日の学校教育の場で、創造性を重視する方向にあるのですが、管理強化の方向と創造性の育成とはあい矛盾するのですね。従順な生徒を育てる教育というのは、反創造性教育である、というしかありません。

2. 天才(創造性の豊かな人)を生む条件

次いで、過去において創造性豊かな人物を輩出した時代と場所にスポットを当て、特に、ルネッサンスのフィレンツェにおけるレオナルドとミケランジェロのような人が、どのような理由で誕生したかを分析いたします。そして、創造性をはぐくむ環境は、以下の条件が必要である、と指摘いたします。

自由、新規、先端にいるという自覚
……
知的自由を助長することは、創造的な脳を作るにもっともよい方法の一つだ。すでに見たように、創造的な性格は大胆であり、探索的であり、あいまいさを受け入れ、境界や限界を認めない。脳内でアイデアが混乱し、かき混ぜられ、ぶつかり合い、ついに何か新たなものが生ずるのが創造的な過程だ。神経のレベルでは、それまで存在しなかった連合が生じはじめ、そのうち一部分は、きわどい新しさをもっている。知的な刺激と自由に満ちた環境は、創造的な脳を作るのに理想的な環境だ。
……
創造的な人たちの臨界量
創造的な脳も、単独では栄えることが難しい。もちろん孤独は、創造的な生産物を作る実際の創造過程では必要だ。しかし触媒となるのはしばしば他者との相互作用であり、知的な思想の交換である。
……
自由で公正な競争的な雰囲気
……
指揮者とパトロン
……
経済的な繁栄

と、いうわけです。これらをみますと、今日のわれわれを取り巻く環境は、充分に創造的である、ともいえそうです。なにぶん、経済的には充分豊かですし、パトロンはさしあたり不要です。ネットという場は、自由で公正で競争的である、ともいえるでしょう。創造的な人たちも、ネットのつながる範囲には、いくらでもいるはずですし、自由で新規で先端でもあるのですね。

3. どうすれば創造的になれるか

と、なりますと、創造的になるかどうかは、もはや環境の問題ではなく、個々人がどうするか、という問題になるのですが、これについても著者は処方箋を示します。

新たに不案内な知識の分野を選んで、掘り下げてみよう
物事に新たな視点をもつようになるもっともよい方法の一つは、ほとんど何も知らない分野に取り付いてみることで、これは創造的に考える上で重要なことである。大学で生物学や物理学を専攻したのであれば、詩とか絵画をやってみよう。毎日コンピュータの設計を考えているのならば、歴史の研究とか伝記を読んだりしてみよう。ビジネスが仕事ならば、地理学とか地球科学、あるいは海洋学を勉強してみよう。以前からピアノを習いたいと思っていても、音楽を習ったことがなければ、始めるとよい。ともかく現在の利害や仕事と大きく違うものを選ぶことだ。
……
毎日、瞑想したり「単に考える」時間をとろう
……
観察や記述の練習をしよう
……
想像する練習をしよう

ふうむ、これ、なんか私がこのブログでやっていることがそのまま書かれているような気がいたします。門外漢の哲学の世界に突っ込んでみたり、いろいろと考えてもおりますし、相場を観察し、記述しておりまして、相場の成り行きを想像したりもしています。

まあ、なんとなく外しているような感じがしないでもありませんが、さほど悪い状況でもないような気もいたします。ま、これが当たっており、著者の主張も当たっているなら、私は、多少は創造的になるかもしれませんね。

4. こどもを創造的に育てるためのヒント

さて、小さなお子様をお持ちの方に朗報です。幼い子供を創造的に育てるヒントも、同書には書かれております。それは以下のとおりです。

テレビを消そう
……
多くの家庭で、テレビは手軽なベビーシッターの代わりになっている。テレビの前に座り込んだ子供たちは、その音響や画像に見入ってしまうから、「いたずら」をしたりしない。こういう考え方には問題がいくつかある。

第一に、活発でいろいろ探す(いたずらをする)ことこそ、子供が世界について学ぶ手段なのだ。
……
第二に、テレビの前に座っていると、受動的で運動しない子になる。子供の脳を、受け入れられるようなものに訓練するが、相互作用は促さない。
……
生まれてから五歳あたりまでは、テレビは最小限見せるか、あるいは全くやめたほうがよい。その後も最小限にするのがよい。見せるならば教育ビデオに限るとよい。大雑把に言って、一日一時簡以下にすべきである。

いっしょに読もう、話し合いながら
……
多様性を強調しよう
……
興味深い質問をしよう
……
外に出て自然を見よう
……
音楽に興味をもたせよう

と、いうわけです。最後に推薦絵本のリストも出ておりますので、邦訳のあるものを紹介しておきましょう。
おやすみなさいおつきさま:6ヶ月から2、3歳
メイシーちゃんのきしゃ:6ヶ月以上
きょうりゅうきょうりゅう:6ヶ月ないし1歳から2歳
かいじゅうたちのいるところ:1歳以上
オリビア:2歳から3歳半以上